100年前の大磯 関東大震災特集12 町政と財政

更新日:2023年12月22日

9月の日誌からは、当時の町役場職員たちが関東大震災の対応に奮闘する様子をうかがい知ることができました。そもそも、当時の町役場はどのようなところだったのでしょうか。今回は、大磯町の町政と財政の視点から、関東大震災を見てみます。

関東大震災当時の大磯町役場

当時の大磯町役場は町長:藤田文次郎、助役:小見忠滋、収入役:加藤倉吉、そして書記などの吏員で、総数は13名でした。町会議員は選挙で選出された18名です。9月の助役日誌からは、関東大震災が発生した直後は、転覆した列車の救助や、町内のさまざまな復旧活動のため、皆、深夜まで、町のために活動したことがわかります。ちなみに、町会議員は当時は名誉職のため、無給でした。

震災発生後の町の対応

発生当時、吏員は徹夜で救護に対応しました(9月1日)。ただ、小見助役は午後9時頃まで対応し、一度帰宅しています。理由はわかりませんが、非常時、人の心は高ぶり、疲れを忘れて働くことができると言われています。しかし、その疲労は後から来るもので、全員が過度に働くことは、その後の役場の機能を維持させることに支障を来たす可能性があります。そのため、小見助役は、臨時の対応を書記たちに任せ、自身は一時的に帰宅するという判断を取ったのかもしれません。

震災の翌日9月2日には、大磯町及び大磯警察署は、仮事務所、仮宿泊所を設置して避難者の救護に対応します。これは、関東大震災特集6の記事でも紹介したように、被災者が国道1号を避難して来たため、大磯には町外からの被災者がたくさん集まり、彼らを救護する必要がありました。日誌には湯呑所という語句が出てきましたが、これは今でいう避難所のことで、9月15日まで対応しました。

9月2日から3日にかけては、列車の転覆事故で亡くなった人を無縁塚に仮埋葬し、その他、町内の死者の火葬も町役場で対応しています。

そして、関東大震災特集6でも紹介したように、9月20日まで米の廉売に対応しました。

その後の復興

関東大震災という大きな災害の後、9月の1か月はこのように、直ちに対応しなければならないことに従事することで、精一杯であったことがわかります。しかし、当たり前ですが、人びとの生活はその後も続きます。10月以降は、町の復興に向けて具体的な施策が行われることになります。

10月6日には、町会議員の中から震災復興委員7名が選出されます。この委員に対しては、実費が支給され、書記1名が配属されました。設置期間は、大正14年3月31日まででした(『大磯町史』3、p.647)。

復興に必要な費用

町の復興のためには、たくさんのお金が必要になります。大正12年12月、当面の財政計画を立案するため、町有施設の被害の実態と復旧費用の見積概算一覧が作成されました。町の緊急復旧費用は、見積総額60,550円で、その内の70%は最優先の小学校の復旧費用でした。

次の表は、町有施設と損害状況、復旧費用をまとめたものです(『大磯町史』7、p.466掲載表7-1をもとに作成)。

施設名 損害状況 復旧費用
町役場 破損(小使室・物置等全壊) 2,500円
大磯小学校 1棟破損・4棟全壊 42,550円
隔離病舎 4棟破損・1棟全壊 3,000円
火葬場 全壊 3,500円
税務署(貸家) 破損 1,000円
登記所(貸家) 破損 2,800円
十千亭 破損 200円
道路(10か所、150間 )   3,000円
橋梁(3か所、20間)   2,000円

合計金額 60,550円

この他に、海岸が隆起したため、海水浴場や漁船の船揚場の改修も必要で、これは神奈川県に委託して、工費11万円の内、国庫補助が5万円、大磯町が補助金として1万8千円を出し、漁業組合の主導で行いました。

このように、災害は大きな経済損失をもたらしますが、当時の大磯町には、一つ明るいニュースがありました。当時の主要産業となっていたブリ漁において、大正12年と13年は大漁、全国1位となるほどの漁獲高となったのです。相模漁業株式会社が行うブリ漁の収益は、大磯町の収入にもなりました(大正10年2月2日)。従って、このような収入は、当時、震災で痛手を被った大磯町にとっては、かなり有難いものであったと考えられます。

さて、今年の本コーナーの更新は、今日が最後です。次回は1月5日(金曜日)に更新します。今回のお金の問題にかかわり、関東大震災が与えた地域金融への影響をご紹介します。よいお年をお迎えください。  

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