大正12年9月2日

更新日:2023年09月02日

助役日誌

9月2日(日曜日)、午前7時出勤。

仮事務所において、諸般の救護事務に従事した。

被害者の即死者8名を無縁塚へ仮葬した。

この度の惨状は、枚挙に尽くしがたい。役場吏員と共に午後9時頃まで、仕事に従事した。役場吏員は徹夜した。

午後10時頃帰宅。

大磯警察署の日誌

9月2日(日曜日)晴のち曇り

勤務
署在員や平塚派出所員は、共に徹夜して救助と警戒に努め、誰も一睡しなかった。

報告
午前5時、その後に判明した被害状況を逓伝にて県庁に発送した。

注:逓伝(ていでん)、手渡しで送付すること。

巡視
巡視していない旭村・土沢村両方面(現・平塚市)に、平根巡査部長を向かわせ、明け方から巡視させた。

横浜の状況
午前6時、横浜市姿見町(現・中区末広町)の車夫と称する者が、負傷しながらも避難してきた。横浜市内の惨状を詳細に申述べたので、初めて具体的に知ることができた。

物価調節の警告
諸物価の調節と主要食品の不足を予防するため、午後1時、次の書面を各米穀販売業者と貯蔵業者に配布・警告した。

<警告>
「被災者救護のため、状況によって米の徴収が必ず行われるはずである。そのため、この際、皆、貯蔵米の保管を厳重にすると共に、販売は、公共団体以外の者には1人に対し3升(約4.5キログラム)以内に限り、売り惜しみや暴利をむさぼるようなことは絶対にしないようにすること」

物価調節のため、次の2種を掲示。

「食料品・日用品・その他の物品を売り惜しみ、または隠し、あるいは不当の価格で販売する者は厳罰に処す」

「食料品・日用品・その他の物品を売り惜しみ、または隠し、あるいは不当の価格で販売する者を発見した時は、すぐに届け出ること」

在米調査
平塚・大磯両町に対し、在米調査が必要となり、署員に調査させたところ、大磯町には約700俵、平塚町には800俵あり、1週間程度は差し支えないことがわかった。

火災・盗難予防及び衛生上の掲示
午前8時、次の2種を掲示した。

「火災及び盗難の警戒は、在郷軍人・消防組員等と協力し、予防に努力しているが、皆もこの際、一層留意すること」

「飲食物は必ず煮沸し、汚物は一定の場所に集めるなど、衛生保持に注意すること」

遺体の収容
大磯・平塚両町及び各村における圧死者の遺体発掘に努める。なお、相模紡績会社内の圧死者は原田警部捕及び斎藤巡査部長に、平塚小学校内の圧死者は高野沢巡査を主任として、その発掘に努めさせた。

警戒
朝鮮人の横行や略奪の風評が激しくなって来たため、管内の青年団員・消防組員・在郷軍人等が夜間の警戒に当たる。須馬村(現・平塚市須賀)・平塚町は風評が最も激しいため、全町村を挙げて出動・警戒したが、大磯町以西は比較的その声が少なかったため、警戒はほとんどしなかった。

朝鮮人の保護
朝鮮人が来襲するという風評が激しくなって来たので、万一の危険を考慮し、管内に居住する朝鮮人は、水島巡査に外出を止めさせ、さらに雇い主及び近隣の篤志家にその保護を依頼した。

治療所の設置
警察署前及び平塚警部補派出所に救護所を設け、避難者で負傷している者、その他の手当てを署員の手で行わせた。

訓示
午後10時、署長は平塚警部捕派出所に出かけ、同方面の署員に対し、朝鮮人の暴動事件や囚人の一時的釈放に対する警戒を訓示し、馬入川(相模川)に行って夜間の渡船を停止して特別警戒を指示した。翌3日午前4時に帰署。

交通
避難者が通行に困る様子が見られたため、大磯町の大平自転車所有の自動車3両を、大磯町花水川から同町台町(注・警察署付近)の間で、前日同様無賃輸送を行わせ、また馬入川畔から平塚町入口まで約20町(約2キロメートル)の間を、伊勢原自動車株式会社と平塚町新宿平田自動車商店の各自動車1両を使って、無賃輸送を行わせた。大磯町から国府村の間は、荷馬車8台と貨物自動車2両で輸送にあたらせた。

朝鮮人来襲の虚報
午後10時半頃から、須馬村須賀(現・平塚市須賀)にて、「漁船1艘が、横浜刑務所から開放された朝鮮人を乗せて来襲した。至急、応援を得たい」という急報があった。斎藤巡査部長が巡査2名と共に現場へ行ったところ、同地区出身の窃盗犯3名が、自宅がある同地区へ、横浜刑務所から逃げてきたということが判明し、3人を連行して、翌朝横浜に向けて護送した。

人心安定のための掲示
午後11時、管内各要所に次の掲示をした。

「不審者の侵入は風説に過ぎないが、警察は在郷軍人・消防組員・青年団員等の援助を求め、極力警戒に努めているので安心すること」

土沢方面の被害
被害状況が不明だった土沢村(現・平塚市土沢)については、署員を派遣したことと、平根巡査部長の巡視により、家屋の7割方が倒壊し、橋梁の墜落、道路の欠壊、田畑の崩壊等の被害が多く、死者20名近くに達すると判明した。

救護所及び仮泊所の設置
1日の夜から、小田原・真鶴方面からの避難者は、ますますその数が増加した。負傷者には手当を施し、空腹疲労して歩行困難な者には署員用として準備したにぎり飯を1個ずつ与えた。しかし、すぐに尽きてしまったので、署員が貯蔵していた白米を取寄せて炊き出しをして配った。これも、午後6時頃までには全部終わってしまった。その人数、約100名を数えた。その後もひっきりなしに通過する避難者はいずれも疲労の上、空腹を訴えて救護を求め、その悲惨な状況は筆舌に尽くしがたい。中には落ち着きなく不穏な言動を取る者もいた。そのため、前日に了解を得ていた岩崎・安田両家の後援によってこれらの者を救助し、悪化しそうな人の心を穏やかにして事件の発生を予防した。その一方で、より救助を確実に行うため、米やその他の買い入れをし、同時に大磯町地福寺境内及び三輪別邸内、警察署前の空き地、消防器具置き場等に宿所の設備を整え、夕食ににぎり飯を配布した。当夜の宿泊人は300余名。炊き出し米3斗(約45キログラム)に及んだ。

解説

注意

記事をお読みいただく上での注意点は、大正12年9月1日の記事にまとめましたので、ご覧ください。

大地震から一夜明けました。昨夜いったん自宅に戻った小見助役は朝7時に出勤。吏員(職員)たちは徹夜しました。

徐々に町内や周辺町村の被害状況がわかってきました。大磯では大きな津波の襲来はなく、火災の発生もありませんでしたが、それでも家屋の倒壊や道路の寸断が広範囲で起こり、死者や負傷者も出ています。小見助役の自宅があった西小磯地区をはじめ、町内には華族や実業家の別荘が何件もありましたが、こちらも甚大な被害を受けました。「惨状枚挙に尽くしがたい」との一文に、小見助役が受けた衝撃の大きさが感じられます。

警察署の日誌には、現在の平塚の被害状況も記されています。平塚桃浜町にあった相模紡績株式会社平塚工場は、建物すべてが倒壊し、144名の死者を出しました。その多くが、宿舎で就寝中だった夜勤明けの女工たちでした。また、見附町にあった平塚小学校では「全国殖産興業博覧会褒章授与式」が開催され、参列者が200名いました。地震によって校舎が倒壊し、建物の下敷きとなって、21名の死者が出ました。(『平塚市史』10通史編近代・現代、p.548-549)

混乱が続く中で、役場は早々に救護事務に対応するための仮事務所を設置します。警察署でも、署員による救護所や仮の宿泊所が設置されましたが、当時の警察署は、現在消防署になっている場所にあり、目の前は国道1号線。増え続ける避難者への対応に苦慮している様子が詳細に記録されています。今後予測される、食料や日用品の不足と混乱にも、早速対策を講じ始めています。

また、情報が途絶えた混乱のなかで、朝鮮人についての風評(デマ)が拡がった様子が記されています。この情報を危険と判断し、朝鮮人を保護したことがわかります。朝鮮人関連のデマは、地震発生直後の1日午後1時には、すでに発生していたそうです。

解放された囚人も、人びとの心を不安に感じさせました。100年前の当時は監獄法(明治41年法律第28号)で、「天災事変に際し囚人の避難も他所への護送も不可能であれば、24時間に限って囚人を解放することができる」(第22条)と定められ、この法律によって、関東大震災の時、一時的に監獄から囚人が解放されました。

当時、横浜根岸村(現・磯子区)にあった横浜刑務所は、獄舎や塀がほぼ全て倒壊し、多数の死者も出て壊滅的な被害を受けました。典獄(刑務所長)の椎名通蔵は、周囲から火災が迫っていることを知ると、無事だった囚人たちを法に基づき解放しました。期限までに戻った者もいましたが、この警察署の日誌にも、通報を受けて、捕らえて護送した囚人が存在したことが記されています。

ちなみに、戻ってきた囚人たちは、名古屋の監獄に移されることが決まりましたが、それまでの間、県知事からの要請を受け、激しく損壊した横浜港で、危険な救援物資の荷揚げ作業に従事したと言われています。情報が限られたなか、朝鮮人へのデマと同様に、解放囚人に関するデマも飛び交い、人びとの間に不安と疑心が拡がりました。

小見助役は、午後9時まで職務に従事し、10時に一度自宅ヘ帰りますが、吏員たちはさらにそのまま役場にとどまっています。当然かもしれませんが、助役日誌には、この段階で小見助役をはじめ、吏員たち(家族も含め)が受けた被害の状況は書かれていません。また、不思議なことに、町長の動向も書かれていません。

列車事故の犠牲者を仮葬した無縁塚とは、身元不明の死者等を埋葬する、共同墓地のような場所です。

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 教育部 生涯学習課 郷土資料館
〒255-0005
神奈川県中郡大磯町西小磯446-1
電話番号:0463-61-4700
ファックス:0463-61-4660
メールフォームによるお問い合わせ