大正12年10月6日
10月6日(土曜日)、午前8時30分出勤。
今年の入営兵士の戸籍抄本の作成に従事した。
南北下町の青年支団長の鈴木ほか1名が、震災時に廉売米に使用した、静岡県から送られ た玄米150俵について、海岸で陸揚げした労賃50円を受け取りに来た。
本県の知事・安河内麻吉氏が震災見舞いとして、菅沼県議・北田警部・浅沼郡書記・水島巡査らを随行して来場した。
西小磯の渡辺仙太郎から、買入れ玄米10俵の代金170円を、仮領収書によって受け取った。
午後2時から町会を召集。震災復興委員の選出について、いろいろと協議した上で、三宅・渡辺・鈴木・二宮・奥山・郷土・浅沼の7名の復興委員を選出した。午後8時に散会し、役場において夕食を取り、午後10時過ぎに退庁、帰宅した。
解説
関東大震災が起こった当時は、ボランティアで無償奉仕するという考えは無かったようです。医師、赤十字、病院、消防隊員、警察、軍隊は、職務上活動していますが、一般人は、行政からの要請により活動し、結果として報酬を要求しています。
無償での活動では、東京帝国大学の学生が上野公園に特設のトイレを設置した記録があります。また、大磯駅での列車転覆に対しては、町で営業していた自動車会社が社を挙げて、負傷した乗客の救護、保護にあたりました(9月1日の記事参照)。
更新日:2023年10月06日