大正13年7月3日
7月3日(木曜日)、午前8時50分出勤。
普通事務に従事した。
午後0時30分、藤田町長は海水浴場を巡視に出張した。
午後3時半頃帰場した。
午後4時10分に退庁した。
解説
大正12(1923)年6月、町では海水浴客の増加を目指し、海水茶屋や旅館と協力して海水浴場の設備を充実させることにしました。防波堤に新たな食堂を作り、宣伝帖(ガイドブックのようなもの)も作成するなど、今までにない積極的な施策でした。
どれほどの集客につながったのか、日誌には書かれていないのでわかりませんが、関係者らは将来への期待を膨らませていたことでしょう。しかし、その後に起きた関東大震災で防波堤は破壊され、海岸の岩場は隆起し、設備も使えなくなりました。町では海水浴場の早期復活を目指し、県からの許可を得た上で、岩礁を破砕するなどの工事を急ぎました。
今日は、震災後初めての海水浴場開きが明後日と迫るなか、町長が長時間にわたって海岸視察に出かけています。
更新日:2024年06月04日