大正13年4月19日
4月19日(土曜日)、午前8時30分出勤。
藤田町長は名誉職や学校長と一緒に、東京市麻布新龍土町の伊藤博邦自宅へ、伊藤公未亡人梅子刀自の告別式に参拝された。
正12時、町長代理として高来神社へ代拝。式が終了して、すぐに役場に戻った。
午前11時20分に助役の職印を渡辺定吉書記に預けておいたが、午後2時半頃戻ったため、職印を受取り、通常の業務に従事した。
午後3時20分退庁。
解説
初代総理大臣伊藤博文の妻・梅子の葬儀には、代理人でなく町長自らが参列しています。伊藤博文の邸宅「滄浪閣」があった大磯町は、伊藤との交流が深く、その妻の梅子とも親しい関係にありました。大正10年10月4日、梅子が大磯を去る際は、町民一同がお見送りしています。この日の告別式のみならず、前々日の17日にはすでに小見助役も含め、町会議員と区長が弔問を済ませ、特別な関係にあったことがわかります。
また、この日は、大磯町内では、高来神社の春の例祭が行われました。この祭事は、本来でしたら前日の18日に行われる予定でしたが、雨天のため延期になり、翌日のこの日に行われたようです。本来は、町長が拝礼する祭事ですが、梅子の告別式に参列したため、小見助役が代拝しました。
ちなみに、「刀自(とじ)」とは、女性に対する敬称です。
更新日:2024年04月19日