大正10年10月4日
10月4日(火曜日)、午前7時30分出勤。
今日も収入事務を取り扱った。
昨日3日、国税(地租雑地・所得税)を完納した。
本日午後1時、伊藤公爵の母堂梅子未亡人が大磯を引揚げられ、大井の本邸へ移住されるため、町民一同と共に見送りをした。
午後2時頃から、町会議員を役場庁舎へ召集。収入役の加藤倉吉が任期満了し、退職したため、その後任者の選定に関して協議した。茶菓を新杵に注文、代金1円50銭。
午後5時散会し、退庁。
解説
この日、伊藤博文の未亡人梅子が大磯を去りました。夫が亡くなって12年。72歳になっていました。
伊藤公爵とは、養子で伊藤家を継いだ博邦のことで、移住先と書かれた大井の本邸とは、明治天皇から下賜された土地(大井村・現在の東京都品川区西大井)に明治40年(1907)に建てた邸宅のことと思われます。
伊藤博文は本籍を大磯町に移し、存命中は町民と気さくに交流していたと伝わりますが、町民一同で見送ったという記述に、当時の町民の梅子夫人に対する特別な思いが感じられます。
大磯を去って2年半後の大正13年(1924)4月12日、梅子は東京芝区西久保城山町にあった、次女・末松生子の邸宅で亡くなります。
またこの日は、収入役の後任選定の会議が開かれましたが、この件はすぐには決まらず長引いて行きます。
更新日:2021年10月04日