100年前の大磯 関東大震災特集2 大磯の被災写真
助役日誌や大磯警察署の日誌には、大磯や周辺地域の関東大震災の被害状況が記されています。日誌は文字の情報ですが、100年前にはすでにカメラが普及し(もちろん現在の比ではないですが)、関東大震災は、写真や映像などの画像が残された地震災害としても知られています。
大磯においても被災状況を写した写真が残されています。その中から、いくつかをご紹介します。


この写真は、関東大震災で倒壊した大磯駅の駅舎です。9月1日、大きな揺れを感じた小見助役たちは、おそらくすぐに外へ出たのでしょう。当時の大磯町役場は、現在の大磯駅前の駐輪場付近にあり、役場の外へ出たとき、まず、この倒壊した大磯駅の駅舎を見たと考えられます。
大磯駅構内で1名、駅舎に隣接する官舎内で2名が亡くなりました。

『大正十二年九月一日 大震災記念写真帖』より
この写真は、大磯の海岸で倒壊した堤防を写したものです。地震直後、海岸では異常な引き潮があり、のちにそれは、海岸が隆起したことによって起こったことがわかりましたが、堤防も大きな被害を受けたことがわかります。

『大正十二年九月一日 大震災記念写真帖』より
この写真は、破損した高麗橋の写真です。高麗橋は、当時、古花水川という、花水川(金目川)の旧河道に流れていた小川に架かっていた橋です。橋脚や欄干の部分が崩れ、傾いてしまっています。


いずれの写真も『大正十二年九月一日 大震災記念写真帖』に掲載されている写真です。馬入川(相模川)に架かっていた馬入橋は、地震によって倒壊しました。ちょうど、新しい橋に掛けかえる工事が進められていましたが、右側の写真にあるように、工事中の橋も崩れてしまいました。

『大正十二年九月一日 大震災記念写真帖』より
そして、これは相模川に流れてきた流木です。写真の説明によると、上流で地震による土砂崩れがあり、流れ着いたもののようです。
大磯警察署の日誌には、9月15日の豪雨の影響で、相模湾沿岸に大量の流木が流れ着いたことが書かれています(9月18日)。地震で土砂が崩れた後、大量の雨が降ったことによって、多くの流木が流れ着いたのかもしれません。
次回の特集記事は、11月3日(金曜日)に更新します。
参考
『大正十二年九月一日 大震災記念写真帖』神奈川県、1925年
この文献に掲載されている写真を利用する際は、出典を明記してください。
写真の利用については、こちらのページもご確認ください。
その他の写真は、ミニ企画展のポスターで紹介しています。
更新日:2023年10月27日