大正12年10月5日
10月5日(金曜日)、午前8時出勤。
昨日、町内の三輪別荘に滞在している工兵連隊長・児玉将軍の副官が、町長に挨拶のため来場した。助役が代わって、面謁した。藤田町長は出勤早々、昨日、須馬(現・平塚市)へ出張した件は、不可能であると話された。
本日、釘の配給をした。
午後4時30分退庁。
途中、三宅氏宅を釘の件で訪問した。
解説
震災後から町に駐留していた陸軍の副官が挨拶にやって来ました。そろそろ帰還する時期が近づいたのでしょうか。
助役日誌と同様に、震災の状況を記録した大磯警察署の日誌によれば、児玉友雄大佐率いる陸軍歩兵第34連隊は、9月7日に本拠地の静岡から大磯に到着し、郡役所に大隊本部を設置しています。また、警察署に近い場所にあった三輪別荘は、鮮魚商として財をなした三輪八百吉(みわ・やおきち)の所有で(6月14日)、震災後、敷地内が避難民の仮宿泊所などに提供されていたことが、同様に記録されています(9月1日、9月2日)。
この日、もう一つの出来事として、釘の配給があったことが書かれています。前日(4日)には亜鉛板(トタン板)の配布がありましたが、亜鉛板や釘は、建築物の補修に不可欠な物です。「申込者に配布」したり「配給物資」になっているところに、品不足や価格高騰の状況が垣間見えます。
更新日:2023年10月05日