大正12年9月11日

更新日:2023年09月11日

助役日誌

9月11日(火曜日)、午前8時出勤。

本日は、灯火の代用になる油大樽1個を受け取るため、私自身が平塚海軍火薬廠へ出張した。

1回目の慰問袋の配給を警察署より引き受け、各区長に引き渡し、困窮者に配布した。

本日も、前日のように半搗米の販売を行った。

その他、雑務に忙殺された。

午後8時頃帰宅。

大磯警察署の日誌

9月11日(火曜日)晴

庁舎整理
大磯消防組員10名の応援を求め、付属庁舎(便所)の取片付けを開始した。

出漁開始
先日、漁業組合と鰤敷の重役を集め、津波が来ないことを伝え、食料の調節のため、出漁を奨励していたが、風が強い日が多く、出漁することができていなかった。本日午前5時頃から地引網を開始し、その結果、アジや雑魚約70~80貫(約260~300キログラム)の漁獲があり、うち2貫(約7.5キログラム)が大磯町の魚藤から当署に寄贈されたので、署の前に置いて通行人に一人2尾ずつで配付したところ、皆、大いに喜んだ。

軍艦の停泊と上京者の送還
午前9時30分頃、帝国軍艦が大磯町沖に停泊したという話を聞いた。署長が、先日以来、県当局や平塚海軍火薬廠を介して海軍当局に対し、食料や衛生用品の供給を受けるために交渉を重ねてきたため、これらを搭載した軍艦であろうと考え、すぐに海岸に出張した。駆逐艦「羽風」が入港。将校2名、水兵16名が上陸した。その用務は、当地に在住のシャム(現在のタイ)公使の救護であったが、当署の求めに応じ、一般避難者の便乗が快諾されたため、急遽、この事を避難者へ通知し、乗艦して上京を望む者を調査したところ、 西園寺公一、岩崎男爵ほか121名の希望者があった。希望者の住所・氏名を記帳し、急遽、漁船4隻を多数の漁夫の応援を得て出船し、午後0時30分に全員を乗艦させた。同艦出港に際し、サツマイモ1俵を贈った。

軍用自動車の廃止
一昨日9日、児玉連隊長と協議し、国府津駅・馬入橋間の自動車23台を雇い、旅客の無賃乗車を開始したが、その後、状況が回復したため、この対応を取りやめた。従業者は、運転回数にかかわらず、報酬が得られると考えていたようであり、やや怠慢になる傾向があったため、明日から全区間を80銭で運転させることとする。正午、各営業者を当署に召集して、櫂沢大隊長の立ち会いの下に示達する。大平自動車商会ほか10営業者の所属自動車26台(貨物・三輪のほか、客車)の内、3台を陸軍にて雇上げ、残りすべてを公認自動車とする。各車体に、次の掲示をつける。

「馬入川より花水川まで20銭
花水川より切通まで20銭
切通より塩海橋まで20銭
塩海橋より国府津まで20銭
困窮者は無賃乗車可
不当不親切な対応を取った場合は、直ちに軍隊または警察官に届出ること」

自動車に関する掲示
管内の要所に次の掲示を行う。

  1. 自動車は午前5時から午後6時30分まで運転する。ただし、公務上必要な時は、臨時輸送をするため、警察官に申し出ること。
  2. 困窮者は、無賃乗車を認めるため、遠慮なく乗車すること。高齢者・子ども・女性・負傷者は、先に乗車し、健康な者は、後に乗車すること。
  3. 従業者に不手際がある時は、直ちに届出ること。

物価の調節
自動車用のガソリン油は、平塚町新宿の後藤鉦太郎方以外に貯蔵品がないため、乱用しないこと。運輸機関が停止されるおそれがあるため、直ちに同人に在庫品の確認を行ったところ、ガソリン182箱、ベンゾール約150箱の在庫があることがわかった。この内、各自動車営業者に向け8日間分として182箱を販売させ、残りは予備品として保管させた。警察の証明がない者には、販売しないこととする。

軍艦の停泊
午後4時、軍艦が大磯沖に停泊したという知らせを聞き、すぐに平根巡査部長が出張する。同船は、駆逐艦「沼風」であった。航海長の稲垣大尉が上陸して、ろうそく、その他必需品の引き渡し方を交渉したところ、30分以内に受取るのであれば、物資を引渡すとのことであった。すぐに漁船を準備して、波風高い中その艦に横付けして、福神漬160缶・牛缶180缶・食パン24本・慰問袋48袋・漬物、その他の提供を受けた。すぐに町村長を集め、人口に応じて配布した。これは、本郡に食料品が届いたさきがけであり、本品は神戸地方の篤志家の慰問品であった。

食料品配給の掲示
「軍艦から寄贈の食料品少量を町村役場に引渡したため、困窮者は配給を受けてほしい」

馬入仮橋の落成及び通行制限
工兵第15、16両大隊の担当で努力した結果、馬入仮橋は午後3時に落成した。児玉連隊長に対し、仮橋の通行制限について打合せたところ、考慮中であるとのこと。警察にて臨時の措置を取ってほしいとの回答があったため、従来通り、午後6時以降は、証明書携帯者及び公務の者以外の通行を制限する。

荷馬車による旅客の運輸禁止
実施中の荷馬車による通行人の輸送は、本日午後5時から禁止する。おおむね、避難者、その他の旅客が著しく減少し、その必要がなくなったため。

橋梁の開通
吾妻村(現・二宮町)の押切橋は、第34連隊及び地元の消防組、在郷軍人の働きにより、午後6時から開通した。

列車の開通
平塚・二宮間の汽車は午後3時から運転再開。管内において、汽車が開通した最初となる。

女工の帰省
相模紡績会社の女工101名が郷里に帰省するため、前回と同様に対応した。

収容人員
当夜は快晴であったため、宿舎に苦労する者も少なく、収容人員は134名、炊き出しは1斗2升(約18キログラム)であった。

解説

注意

記事をお読みいただく上での注意点は、大正12年9月1日の記事にまとめましたので、ご覧ください。

灯火の代用となる油を海軍火薬廠へ取りに行っています。どのようなものか判断するため、小見助役自らが出張したのかもしれません。

9月7日から地元の漁師たちに、漁に出るよう促しています。その後、9月9日には、中央気象台の中村理学博士が大磯を視察し、津波や地震のおそれはないと解説していますが、結局、天候不順で出漁できず、この日にやっと地引漁をすることができました。

一等駆逐艦「羽風(はかぜ)」は、大正9年(1920年)に竣工されました。昭和18年(1943年)に、パプワニューギニア沖で、米潜水艦の雷撃を受け沈没しました。1,215トン、蒸気タービン、39ノット、154名が乗船できる、大正12年(1923年)当時は、最新鋭の軍艦でした。

また、一等駆逐艦「沼風(ぬまかぜ)」は、大正11年(1922年)に竣工。同じく昭和18年(1943年)に沖縄沖で、米潜水艦の雷撃を受けて沈没しました。「羽風」と同種の軍艦です。

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