大正12年9月7日

更新日:2023年09月07日

助役日誌

9月7日(金曜日)、午前7時30分出勤。

本日も、前日のとおり事務多忙。雑務に従事した。

午後、三宅・二宮両氏と共に、助役は国府新宿・簑島安太郎方へ玄米買入を交渉、続いて吾妻村役場へ玄米買入の交渉をした。

その他、雑務に忙殺。

午後8時帰宅。

大磯警察署の日誌

9月7日(金曜日)曇りのち雨

道路修繕と電灯の点灯
引続き大磯・吾妻(現・二宮町)間の道路修繕をした。また、海軍火薬廠に交渉しておいた電灯架設を継続した。

米の廉売
食料不足が顕著となり、危険な状況になってきたため、大磯町西小磯の米穀商・窪田浜吉が平塚町の秦野銀行の倉庫に貯蔵中の庄内玄米110俵(約6.6トン)を当署の管理に移すことを検討した。窪田を呼び、実費販売するよう諭したところ承諾したため、在郷軍人と青年団員の応援を求め、町内数か所で1升38銭の値段で、一人3升(約4.5キログラム)を限度に、廉売すると掲示した。開始3時間で完売した。

町村の施設での米の廉売
平塚町では、玄米1升(約1.5キログラム)を35銭で、一人につき6合(約950グラム)ずつの廉売を始めた。

軍隊の増員
第34連隊長の児玉大佐は、午後2時に1個小隊を率いて管内の二宮に連隊本部を置いた。大磯町には摺沢少佐が1個小隊を率いてきて、大隊本部を郡役所に置いて警戒に従事した。

物価調節
署長は、午前10時、大磯町内の食料品・日用品販売業者一同と町長・区長を集め、震災前の価格より値上げをしたり、売り惜しみをしたりするようなことは絶対にしないよう警告し、町長と区長には監視にあたるよう依頼した。営業者からは誓約書を出させた後に、次の掲示を大磯町内にした。

「食料・日用品その他の物品は、震災前の価格で販売することを各営業者に誓わせたので、不当な価格で販売し、または売り惜しみをしている者を発見した時は、すぐに警察官または町村当局・区長に届け出ること」

交通に関する掲示
鉄道線路の開通場所を掲示した。

電灯の点灯
海軍火薬廠の電力により、吾妻村から国府村間の東海道は、坂本刑事指揮の下に、同夜より点灯することができた。

火葬場の閉鎖
相模紡績会社に許可していた臨時火葬場は、会社の遺体発掘が完了したため閉鎖させた。

米穀買入の依頼
愛知県下に米穀買入のため出張する大磯町の坂田友吉ほか1名に対し、便宜を図ってもらえるように、同県下の警察署長や市町村長に依頼する書面を交付した。

出漁の命令
9月1日以来、津波を恐れて漁師が出漁していないため、副食物が不足してきている。そのため、大磯町漁業組合理事の加藤安五郎ほか1名を当署に呼び、出漁を厳命した。 

解説

注意

記事をお読みいただく上での注意点は、大正12年9月1日の記事にまとめましたので、ご覧ください。

道路や電灯は復旧の兆しが見えてきましたが、食料や日用品は不足してきています。混乱に乗じた値上げや売り惜しみへの警告は連日掲示され、警察署はとうとう業者に誓約書を書かせています。

治安維持と復旧作業のため、前日、前々日に引き続き、静岡から増員の兵士が到着し、郡役所に大隊本部を置きました。しかしその状況下でも、混乱こそ無かったようですが、「警察署が放出させた大量の玄米が短時間で完売した」と言う記述は、現代の私たちに、後にスーパーマーケットなどで起きたさまざまなパニックや、人びとの長蛇の列を思い起こさせます。

町役場も、警察に忠告されて実施した前日の食料配布の状況で、対応策が必要と判断したのかもしれません(9月6日)。助役という立場ばかりではなく、西小磯地区を代表する人物でもあった小見助役。町会議員と共に自ら国府新宿や吾妻村(現・二宮町)で玄米買入れの交渉をしています。さらに、町民が愛知県まで買入れのために行くことになったようですが、経路の手立てや治安状況が不安だったと考えられ、まるでパスポートのような書面を警察署が用意しています。

また、警察署の日誌の記述から、厳命されるまで漁師が生活の糧であるはずの漁に出なかったことがわかり、これもまた驚きですが、これは近隣の津波被害の惨状を見聞きしたことが、それだけ衝撃だったという証しかもしれません。

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