大正12年6月7日
6月7日(木曜日)、午前9時20分出勤。
藤田町長の出勤早々、昨日の旭村・土澤村両村長の賛成の意向を復命した。
新屋敷で腸チブスの患者が発生し、隔離舎ヘ入院させた。
午後3時頃、藤田町長は停車場へ出張。駅長と相談があるように察せられた。
午後3時半頃、自動車隊が当町に宿泊するため、軍曹以下4名が来場。宿割を協議された。渡辺主任書記が立ち会った。
午後4時30分退庁。同時に、職印を渡辺書記に預け置く。宿泊料領収のためである。
解説
今年も、腸チフスの患者が出てしまいました。「新屋敷」(しんやしき)は、山王町にある小字名です。
陸軍自動車隊の軍曹が、宿割(やどわり)を決めるために来場しました。自動車隊は、戦車などを含む軍用自動車(機甲車両)で構成された陸軍の組織の一つです。日誌には、演習時に大磯町を通過する兵士等が宿泊する際に、宿泊場所を提供・割り振る作業をしたことが、何度か記載されています。また、割り振りを記した町内の略図も、資料として残されています。
参考
令和3年度秋季企画展「資料と証言に見る大磯と戦争」より
こちらに、大磯に軍隊が宿営した際の略図(大正6年の軍隊宿営参考図)を掲載しています。
更新日:2023年06月07日