大正9年10月7日

更新日:2020年10月07日

10月7日(木曜日)、 午前7時35分出勤。

本日は、午前9時ちょうどに大磯町消防組秋季点検を行った。大川警察署長が臨検し、消防夫の姿勢や器具の整備など、概ね良好とのこと。続いて署長からの訓示があり、終わってから藤田町長の挨拶もあって無事解散した。役場側からは助役、栢木会計主任が臨場し、10時30分に帰庁した。

午後1時30分に陸軍砲兵中尉竹内善次氏が来場。13日に当町へ、435人の兵と馬300頭が一泊するとのこと。その内、将校・中佐等26人は、西小磯地区に宿泊する予定。仙石原からの帰りに逗留するもので、食料等を供与する必要あり。町長、承諾。

午後1時から土木委員を召集し、西小磯橋梁の件やその他を協議する予定。三宅・渡辺・ 郷土の3氏が役場庁舎内において協議した結果、西小磯の橋梁の修理は、西小磯区長の監督のもと、常雇いとして、地区の人々で行うことに決定した。このことは、西小磯地区の役員にも相談する。 午後4時30分頃から、破損箇所を町長と一緒に確認した。 本日の茶菓は新杵に注文、代金1円。

この日は松月において、土木委員と一緒に夕食をとった。長島主任書記には、弁当を出した。

午後7時頃帰宅。

解説

今日は、消防組の点検を行いました。1月4日付けの解説にもありますが、当時の消防組織では現在のような消防署はまだなく、各町内で消防組を作り警察が管轄していましたので、この日も警察署長が臨検・訓示をしています。役場の職員(会計主任)が臨場しているのは、経費はすべて市町村の負担だったためのようです。

消防器具も、警察署の脇に小屋があり、手押し式ポンプや梯子・鳶口などが置かれ、ポンプ以外は江戸時代の火消しとあまり変わらない装備でした。

午後、軍から演習行軍の際の宿泊依頼が入りました。日誌には、幾度かこのような記録が残っていますが、435人の兵士と馬が300頭、かなり多くの人や馬が宿泊しています。大磯は、かつて大名行列を本陣等で受け入れていた宿場町ですが、これだけの人数と馬が宿泊するのに、どのように対応したのでしょうか。将校たちは宿へ、下級兵士や馬は浜で野営でもしたのかと考えますが、日誌に詳細はありません。

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