2 生活の中の戦争

更新日:2021年10月22日

日清・日露戦争を経て大正時代にもなると、軍隊は人々にとって身近な存在になった。日露戦争の美談も広まり、当時の人々は、戦争を現在よりも身近な出来事としてとらえていた。

軍隊

一年志願兵の入営命令書

一年志願兵の入営命令書 1923年(大正12年)

大正時代は、日露戦争時の改正によって、後備役の服役期間は10年になり、第一・第二補充兵は一元化され、補充兵役が12年4か月の服役期間となっていた。

予備役・後備役は、通常、現役3年の後、予備役4年、後備役5年に服する。一年志願兵とは、予備・後備の将校となることを志願し、特定の試験を経て1年間現役に服する者のことをいう。

左の入営命令書には、入営日時に12月1日とあり、この日付は一年志願兵の入営日として決められていた日程であった。

当時の大磯町では、毎年、徴兵の対象となる年齢に達した壮丁100人程度に対して、20人程度が現役兵として入営していた。

 

歩兵小銃射撃手簿

歩兵小銃射撃手簿 1924年(大正13年)頃

兵士の射撃訓練の成績を記録した資料。

兵役服務者出仕の表彰状

兵役服務者出仕の表彰状 1932年(昭和7年)

家族に、たくさんの兵役服務者がいることは、当時は表彰されることであった。

1931年(昭和6年)には、そのような家族を表彰する制度ができ、金杯などが贈られることもあった。

左の表彰状の場合は、一家から兵士を3人出したことが、表彰の理由となっている。

軍事演習

軍隊宿営参考図

軍隊宿営参考図 1917年(大正6年)

当時は、各地で軍事演習が行われ、軍隊を間近に見る機会があった。軍事演習は陸軍・海軍ともに行われたが、特に1901年(明治34年)から毎年秋に行われるようになった陸軍の特別大演習は、天皇自らが演習を統括し、行幸も兼ねたため、当時の一大イベントとして扱われていた。

神奈川県では、1921年(大正10年)11月17日から30日にかけて、特別大演習が実施され、当時の大磯町でも、演習に伴う行軍に対応するため、11月14日に湯呑所などの設備が準備され、25日には演習を終えた豊橋聯隊が西小磯に宿営した。

上部の軍隊宿営参考図は、特別大演習とはまた別の時に、大磯に軍隊が宿営した時のもので、この時は、総勢111人の兵士が、長生館などの旅館に分かれて宿を取った。大磯には、このように特別大演習だけでなく、しばしば軍隊が宿泊していた。

在郷軍人会

帝国在郷軍人会の徽章

帝国在郷軍人会の徽章

帝国在郷軍人会の雑誌訓練

『訓練』帝国在郷軍人会本部発行

在郷軍人とは、徴兵された兵のうち、現役の軍隊生活を終えて予備役や後備役に服している者や、補充兵役または国民兵役に服している者のことをいう。彼らは普段はそれぞれの生活を営み、日常生活を送っていたが、日露戦争の動員などに見られるよう、戦時体制となり兵士が必要になったときは召集令状が交付され、出征しなければならなかった。在郷軍人が会員となって入会した組織が在郷軍人会であり、1910年(明治43年)11月3日には、全国組織として帝国在郷軍人会が成立した。

帝国在郷軍人会は、各地の徴兵の管轄となる聯隊区に対応して支部が置かれ、その下の組織として郡・市単位の連合分会、さらにその下に町村単位の分会が設置された。

当時の大磯町でも、1911年(明治44年)3月10日に帝国在郷軍人会大磯町分会が発会し、当初の会員数は146人であった。町村単位の分会には資金がなく、会員は年会費30銭を納める必要があった。

分会の活動は、在郷軍人を対象として定期的に行われる訓練(簡閲点呼)への対応や、会員遺族への救護活動などであったが、1923年(大正12年)に発生した関東大震災では、被災者の救援活動に在郷軍人会が活躍し、一躍その活動が有益なものとして認識されるようになった。

愛国婦人会

愛国婦人会通常会員章

愛国婦人会通常会員章

優待愛国婦人会員章

優待愛国婦人会員章

日清戦争では、婦人たちが兵士への慰問品を募り、出征家族への援助金を集める活動が全国的に行われた。この活動に端を発して結成された会が、愛国婦人会である。

愛国婦人会は、戦死者の遺族や怪我や病気にかかった軍人の救護を目的として、1901年(明治34年)2月に結成された。会員は、役人、実業家、資産家などの夫人が中心であり、官庁によって、会員の勧誘が進められた。東京の本部を中心に支部が県単位でつくられ、神奈川県では1903年(明治36年)11月に支部が発会した。

当初の神奈川県内の会員数は、特別会員640人、通常会員2,400人の合計3,040人であったが、日露戦争によって愛国婦人会全体の会員数が飛躍的に増加し、県内でも1905年(明治38年)には1万人を超えた。この数は、県内の女性総数の約2%にあたる。大磯でも、町役場が愛国婦人会の会費を徴収するなど、官庁が会の運営に一定のかかわりを持っていたことがうかがえる。

愛国婦人会の活動は、その後、子どもや高齢者の支援、災害救助、病院支援など多岐にわたるようになったが、1932年(昭和7年)に大阪で国防婦人会が誕生し、その活動が全国的に広がるなか、次第に愛国婦人会との違いが見えにくくなっていった。太平洋戦争の戦況が悪化していった1944年(昭和19年)、愛国婦人会は国防婦人会などの他の婦人会と統合され、大日本婦人会が結成された。

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