大正14年7月2日
7月2日(木曜日)、午前7時50分出勤。
午前9時から、中郡役所において本郡共立学校の件について議員を召集した。宮代町長が出頭された。午後1時に、町長は帰場された。
本日、育英学校の大正13年度打切補助金85円を杉山清三郎氏に渡した。
午後2時頃から、中西土木委員と共に、火葬場建設基礎工事を踏査した。
午後4時頃帰場したのと同時に、麹町冨士見町幇間師の桜川鶴八一行が、海水浴場余興の寄附を申し出たので、海水実行委員の真壁・鈴木の4名(2名?)と町長と、種々交渉した。急いで実行することを要する場合は、実行委員に委ね、海水開き当日に興行することと決定した。各名誉職に通知した。
午後6時頃に退庁した。
解説
町長が会議に出席し、補助金を出した学校は、当時金目村にあった「中郡二十六カ町村組合立育英学校」のことと思われます。この学校は、大正15年に発展的解消を遂げ、神奈川県那珂中学校となっていきます。「打切」とはこれ限りという意味で、最後の補助金となりました。
大震災で倒壊した火葬場の工事がやっと始まっています。昨日に、土留めのコンクリート工事の契約を交わしましたので、それを確かめに行ったのでしょう。
また、この年は、海水浴場開きに余興を計画しています。この日、名乗りを挙げてきたのは、幇間師の桜川鶴八でした。桜川は、江戸時代から現在まで続く幇間芸の名跡のひとつですので、彼もその一人だったのでしょう。本来は座敷で行われるものですが、小見助役達は、賑やかに盛り上げる芸は余興にぴったりだと考えたのかもしれません。
更新日:2025年06月04日