大正14年8月10日
1つ目の記事
8月10日(月曜日)、午前8時出勤。
本日、加藤収入役は病気のため欠勤した。代わりに収入事務に従事した。
第2回海水浴場余興費の内支払いをした。収入役欠勤のため金50円を立替えた。
昨夜、西小磯の白岩踏切より西へ十数間の所において轢死体があった。
午後9時に退庁し、帰宅した。
2つ目の記事
8月10日(月曜日)、午前7月50分出勤。
本日は普通事務に従事した。
本日、青年団宣伝ビラをめぐる対立について、町長仲裁のところ、宣伝文に不服の点があり、町長の命を以て校長に申し入れた。
午後2時に退庁した。
解説
理由はわかりませんが、今日の日誌は、同じ日付で2回、それぞれ違う内容で書かれており、出勤と退庁時刻も異なります。この頃の小見助役は、盛夏の季節に日曜日も休まず出勤し、仕事も多く、相当疲れていたのではないかと推測されます。
1つ目の記事
今日の小見助役は、収入役が病欠したため、前夜行われた余興費の支払金が出金できず、50円を立て替えています。
また、前夜の余興は盛況だったようですが、一方で列車の人身事故が起きました。場所は、小見助役の自宅近くで、その対応もしたのかもしれません。色々と大変だった様子がうかがえます。
2つ目の記事
議員と青年団の対立の件は、まだ収まる様子が見えません。今日は町長が仲裁に入りました。7日に小見助役が頼んで小学校長が作り直した文面では、双方とも納得しなかったようです。小見助役は、今度は町長の命令として、校長に再依頼をしました。「雑書綴」に残された資料を見ると、町長と校長が仲裁に入り「熱意のあまり意見が相違したが、町のために、と考えているのは双方共に同じである」との見解を記した書面を各方面に出し、解決を図ったようです。
参考
「雑書綴」大正13年2月~大正14年12月























更新日:2025年07月05日