大正14年8月7日
8月7日(金曜日)、午前7時50分出勤。
本日、漁業組合より、築港の件で電話があり、大泊の工事変更を話した。このことを町長に諮ったところ、「土木委員に諮問しないうちは、何の挨拶もしない」とのことだった。
本日、青年団宣伝ビラをめぐる対立について、宣伝の草稿の訂正を学校長に依頼した。
午後1時頃、渡辺技手が来場し、図面の件について了承された。宮代町長に報告した上で帰宅した。ちょうど午後3時であった。
解説
「大泊」(おおどまり)とは、現在漁港のある辺り一帯の名称です。その後、現在のポートハウスてるがさき周辺一帯まで海水浴場は拡張していましたが、関東大震災で岩礁の隆起などがあったため、破砕工事等を進めて再整備し、この当時は再び海水浴場として開場していました。そして、現在の県営駐車場の辺りには、夏場は無料更衣所やトイレが立ち並んでいましたが、この場所は当初から漁港として使われ、海水浴場との共存が以前から問題となっており、その工事も進められようとしていました。漁業組合からの連絡が、どのような工事変更だったのかはわかりませんが、町長は担当議員と諮るまで関与しないと答えています。漁港はこの後、長年に渡って堤防工事等をおこなった結果、現在は旧大泊付近に整備され、海水浴場は砂の堆積などによる景観の変化もあり、北浜海岸に移動して共存は解消しています。
小学校の工事は、1日に設計替えした図面が出来上がりました。
また、昨日6日に議論された宮代議員と青年団との件は、争点となったビラの文面を小学校長に訂正してもらうことにしたようです。
参考
飯田福信・佐川和裕「新聞記事に見る大磯海水浴場事情」大磯町郷土資料館『年報』平成21年度 (PDFファイル: 6.6MB)
更新日:2025年07月05日