大正14年8月8日
8月8日(土曜日)、午前7時50分出勤。
本日、宮代町長は水源地を踏査された。
午前9時頃、町長と共に、田中別邸滞在の賀陽宮殿下を伺った。あわせて、山内侯爵へも暑中御見舞を申し述べた。
午後0時半頃、海軍中将の山路一善氏が来場し、振農会顧問と肥料醱酵素について説明された。
午後3時頃から、照ヶ崎海岸において、海水浴客慰労のため、大磯青年団主催の馬鹿噺、その他の余興があった。盛会を極めた。
午後1時半に退庁した。
解説
町長と小見助役は、8月3日にも、田中別荘に町長と共に出向き、子爵の町尻量基と面会しましたが、今日は賀陽宮恒憲殿下に挨拶に出向きました。町尻子爵と賀陽宮家は姻戚関係で、恒憲王とは義理の兄弟関係にありましたので、同じ別荘に避暑にやって来たのかもしれません。一方、山内侯爵とは、土佐山内家17代当主の山内豊景のことでしょう。軍人であり貴族院議員も務めていました。別荘があった場所は、現在、大磯町役場になっています。
また今日は、海軍中将の山路一善が来場したと書かれています。彼は「海軍航空の生みの親」と呼ばれ、日清・日露・第一次世界大戦で功績をあげた軍人ですが、大正12年(1923)年に退役して、当時は予備役となっていました。
今日の海岸では、青年団の主催で海水浴客向けの行事が賑やかに行われていたようです。
更新日:2025年07月05日