大正14年8月3日

更新日:2025年07月04日

8月3日(月曜日)、午前8時10分出勤。

本日、探海灯演習のため、軍隊が当町に宿泊した。指揮官は工兵少佐の加藤一勝氏である。

本日、宮代町長と共に、山王町の田中別荘に滞在している子爵の町尻量基殿方に御機嫌伺いに参上した。

本日、鴫立庵の修繕が終了し、松山千代吉分の料金85円を支払った。

午後5時から夜に掛け、東京大相撲の大関真砂石(まさごいし)及び獝錦(ならにしき)の一行が、神明町の太田邸内で興行の予定だったが、雨天のため順延となった。

本日、上水道水源調査報告書を町会議員並びに各区長に通知した。

午後1時半頃に退庁した。

解説

今日は、町に軍隊がやって来ました。工兵とは、土木・建築等の技術に特化した兵のことですが、旧日本陸軍では、潜水艇など船舶の運用も工兵の役割となっていました。また、指揮官の加藤一勝は、愛知県士族の出身で、陸軍少将・陸軍技術本部の部長を務めました。今回の「探海灯演習」とは、「サーチライトの演習」のことですので、実際の演習は、夜間にするのではないでしょうか。

今日の小見助役は、町長と共にご機嫌伺いに出かけています。当時は、町内の別荘に高官や貴族・華族等が滞在すると、挨拶に出向くのが慣例でした。田中別荘は具体的に分かりません。子爵の町尻量基は陸軍軍人で、この年の4月、元伊勢神宮祭主の故賀陽宮邦憲王(かやのみやくにのりおう)の長女・由紀子女王と婚姻したばかりでした。

また、雨天中止となりましたが、大相撲の興行が予定されていた太田邸とは、実業家の太田清蔵の邸宅です。以前にも、興行が行われた記録が残されています。日誌では大関と表記されていますが、当時の記録では、真砂石三郎が前頭9枚目、楢錦政吉が前頭11枚目となっています。

今日は、6月の町会で決定し、始められた上水道敷設工事について、水源地の調査報告がようやく通知されています。

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