大正13年9月10日
9月10日(水曜日)、午前9時半出勤。
本日は戸籍謄抄本に従事した。
午前11時頃、海水浴出方総代に小屋を解体し、旧置場ヘ一時的に積み入れることを町長より命令した。
午後2時半頃、平田公介氏ヘ小学校バラック(憲兵隊分遣所)建築見廻りの謝礼として金15円を渡し、さらに登記所改築の見廻りを依願して、午後3時に帰場した。
同時刻に土澤村長ほか1名が来場し、中郡中等学校新設の件について、町長に面会した。
午後3時半頃町長は退庁した。帰宅途中、登記所築造場基礎工事を視察された。
本日、水道設計技師の山中久満吉氏が来場の予定だったが、町の都合上明日に延期した。
午後4時10分に退庁した。
解説
結局、町が進めようとしていた海水茶屋の資材置き場を新しくする計画は、昨日9日に県土木出張所長の命令が出て見合わせることになり、元の置き場に入れておくことになったようです。
今日は、その他にも多くの事が書かれていますが、どれも建築や土木に関することです。平田公介が見回りをしたという「小学校バラック」とは、震災で倒壊した小学校の再建にあたり、駐屯した憲兵隊が使用していたバラックです。撤退する際に無償で貰い受けて仮校舎としたので、その工事の時のことと思われます。平田氏は、同じく震災で倒壊した登記所の工事の見回りも引き受けています。平田氏は、長らく南下町の区長を務め、大正10(1921)年からは町会議員になった人物です。
また、土澤村村長が町長に面会したのは、かつて金目村にあった「私立育英学校」が廃校になった後、周辺の町村が力を合わせて学校施設を存続させてきましたが、最終的に新たな「中学校」を設立しようとしていたためと思われます。
さらに、今日は、水道設計技師を呼ぶ計画があることが書かれています。水道の敷設と普及は進むのでしょうか。
更新日:2024年08月04日