大正12年9月23日

更新日:2023年09月23日

助役日誌

9月23日(日曜日)、午前8時出勤。

本日も罹災調査のために吏員は各担当地区へ出張する。

中郡役所から慰問袋が届けられ、各区長に配布を依頼する。

広島工兵第5大隊120名が西小磯に宿泊する。

本日をもって仮事務所を閉鎖し、本庁舎ヘ事務を移転することとなる。

午後5時頃、帰宅。

注:工兵第5大隊は第5師団に所属する。関東大震災以外にも、第一次世界大戦時、1914年(大正3)8月に中国青島に派遣され、1918年(大正7)8月の米騒動では鎮圧のために出動した。シベリア出兵では、1919年(大正10)8月に、守備等で派遣された。
大磯警察署の日誌

9月23日(日曜日)晴、夜暴風雨

応援員の引揚げ
午前3時、秦野・伊勢原両分署に応援派遣中の愛知県巡査を引揚げ、当署に配置する6名と共に、県警察部に向かって出発した。

工兵の電話架設
午後1時、斎藤工兵大尉が部下と共に来署され、管内や東海道筋の電話架設工事に着手する。

火災防止の警戒
午後1時頃から暴風となり、午後5時頃にはますます強風となったため、各消防組を出動させ、消防器具置き場に数名を配置して、警戒にあたらせた。一帯の軍隊に通知して、万一の場合、直接出動できるよう準備を依頼した。

隔離病舎の視察
各町村長に対し、震災で破壊された隔離病舎について、急ぎ修理するよう依頼していたが、修理が完了しているか、吉田巡査に調査させたところ、いまだに各町村とも手つかずであることがわかったため、患者の発生に備え、バラックの仮小屋を建てるように促した。

注:バラックの仮小屋とは、廃材やトタンなどで作った粗末な小屋

内務省保安課長の来署
保安課長及び南崎防疫官一行が、午後9時に来署した。

解説

注意

記事をお読みいただく上での注意点は、大正12年9月1日の記事にまとめましたので、ご覧ください。

前日に続き、吏員による罹災調査が続き、被害の多さが伝わります。

広島工兵第5大隊120名が西小磯に宿泊とありますが、電話の架設を行うようです。通信手段の復旧は、大変重要です。

警察署の日誌によると、内務省の保安課長と防疫官一行が視察に見えるためか、感染症の隔離病舎の修繕を急がせています。ところが、手つかずのようでした。感染症対策のため、急遽、「バラックの仮小屋」を建てるようです。京浜地区と国府津辺りでは、感染症が発生し、震災後の衛生状態は、常に気を配られていました(9月6日)。

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