大正12年9月13日

更新日:2023年09月13日

助役日誌

9月13日(木曜日)、午前8時出勤。

本日も8時より廉売を行う。午後からは、漬物の廉売も行う。

本日より山口フジを湯呑所の雑務係として雇う。

その他、雑務に忙殺する。

午後7時頃、帰宅。

大磯警察署の日誌

9月13日(木曜日)晴一時豪雨

実費宿泊所の設備
午前11時、管内の旅館を調査した結果、次の旅館が宿泊可能であったため、宿代や待遇、その他を実費とするよう指示し、次の事項を各店頭に掲示させ、すぐに営業を始めせた。

禱龍館 30人
油屋 27人
宮代屋 8人
鶴屋 16人
中村屋 8人
角半 25人
  1. 食料は、一食、半搗米のにぎり飯2個、汁1椀程度の夕食を提供し、ふとんは一人1枚とする。宿代は40銭とする。
  2. 宿泊者は、旅館に不親切や不当な取扱いがあった場合は、警察官に届出ること。
  3. 宿代を支払うことができない者、または満員の時は、警察署の無料宿泊所を利用すること。

保険衛生の警告
午前9時より吉田巡査は、昨日、案内することができなかった西部方面の衛生警告の宣伝を担当した。

二宮の臨時屠殺場の閉鎖
食料品の不足を補い、併せて物価調節の応急的な対応として、二宮の小泉豚肉店で実施していた屠殺を中止させた。同時に、平塚町の屠殺場を開設させた。屠殺料は一頭につき20銭値下げさせ、部内の豚肉の価格は100匁(約400グラム)35銭以下とする。

農商務省技師の来署
農商務省の地質調査所の技師である石井清彦ほか1名は、状況視察のため来署し、翌14日にわたり、地質調査を実施した。

佐藤内務属の来署
佐藤内務属ほか1名が、警察部長の紹介状を持参して来署した。災害の状況を調査し、一泊した後、帰られた。

旅客の保護その他の上申
本日、平塚・国府津両駅間で列車の運転が開始されたが、茅ヶ崎・品川間の終列車に連絡がなかった。茅ヶ崎駅着の終列車は午後6時34分(馬入東岸の仮停車場)、平塚駅発の終列車は午後4時15分になったため、この列車の旅客は、宿所に困り、平塚・大磯・二宮等に集まり、野宿せざるを得なくなった。特に女性が大いに困った。列車運転時刻の改正が急務であることを、知事及び木下旅団長、鉄道局長に上申した。本件は、駅に交渉したが、良い案がないと言われた。

検束
午後4時40分頃、署長が馬入川(相模川)を視察中、軍隊が掲示した文書を無断で撤去し、雨戸を軍隊が無断で使用したと言って、 馬入駐在所に怒鳴り込んで来た者がいたため、身柄を拘束した。また、午後11時頃、鉄道復旧工事に従事中の作業員5名が、停車中の列車内で朝鮮人に脅迫されたと、虚偽の風説を広めようとしたため、身柄を拘束した。

解説

注意

記事をお読みいただく上での注意点は、大正12年9月1日の記事にまとめましたので、ご覧ください。

地震発生から13日が経ちました。この日、注目する出来事は、農商務省の技師が、地質調査の視察に来ていることです。すでに、9月9日に中央気象台の理学博士が大磯を訪ねていますが、関東大震災は、このように科学的な調査の対象となり、地震発生直後から、専門家が現地を視察している様子がわかります。

また、汽車が部分的に開通し始めましたが、復旧が完全ではないことによる弊害も起こっています。茅ヶ崎駅の最終列車が午後6時34分であった一方、平塚駅発の最終列車は午後4時15分であったため、国府津方面へ向かう旅客は、足止めされてしまいました。駅に交渉しても良い案はない、という何とも心許ない返答ですが、駅の立場も苦しいところであったと思います。

鉄道が徐々に開通していくのは、復旧工事に従事する人たちが、一生懸命に働いているからです。大磯でも、9月9日から作業員(人夫・工夫)が大磯駅を中心に働き始めていますが、残念ながら、時にはトラブルもあったようです。

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