大正11年2月8日
2月8日(水曜日)、午前8時40分出勤。
軍事救護給与願を認可。
本日は戸籍謄抄本に従事する。
午後1時21分、大磯駅発にて梨本宮殿下が御帰京遊ばされるため、藤田町長と共に奉送した。
午後4時10分退庁する。
樺山伯が亡くなり、ご遺体をお送りした。
解説
軍事救護金の給与願が認められました。申請は大正10年12月23日で、大正11年1月24日に確認が行われていました。およそ、1か月半です。
また、午後1時21分には、梨本宮の帰京のため、藤田町長と共に大磯駅へ奉送に行っています。梨本宮は妃と2月1日に大磯を訪れているので、1週間の滞在でした。なお、梨本宮妃の帰京は記されていないので、まだ大磯に滞在していると思われます。
そのほか、いつもどおり戸籍業務に従事しています。
また、この日は、軍人の樺山資紀(すけのり)が、大磯の別荘にて死去しました。樺山は、薩摩藩出身者で、海軍大臣や初代台湾総督などを務めた人物です。
更新日:2022年02月08日