大正15年1月8日
1月8日(金曜日)
午前7時50分大磯駅発の汽車で、村井吉兵衛氏告別式に焼香のため出京した。村井氏は、本年1月2日に、東京麹町区永田町の自宅において亡くなった。
午後6時頃に帰宅した。
解説
100年前の大磯には、多くの政治家・実業家等が別荘を持っていましたが、村井吉兵衛もその一人です。煙草が国の専売になる前に製造販売で財を成し、煙草王とも呼ばれました。当時は、町にゆかりの人物が亡くなると、町長や助役が必ず告別式に参列しましたので、小見助役は朝早くから式場である村井家に向かっています。ちなみに、小見助役が葬儀に赴いた東京永田町の本宅は、「山王荘」と呼ばれ、5,000坪の広大な敷地に、和館・洋館の邸宅、茶室、美術館等、多くの建物が点在していたと言います。村井は大磯においても、現在の東町に広大な敷地を所有していました。慰安のために2,400人の従業員を貸し切り列車で大磯に招き、邸内で優秀な従業員の表彰式を行ったり、庭に花畑を造り付近の町民に開放するなど、多くの人に親しまれた人物だったようです。























更新日:2025年11月28日