大正13年11月10日
11月10日(月曜日)、午前8時30分出勤。
午前9時頃、去る6日夜に轢死した男性の関係者が、馬入の者である疑いがあると町役場に申し出た。仮埋葬を掘り出したが人違いで引上げた。
午後0時半頃、藤田町長は早退した。
午後2時、北本町区長の鈴木儀兵衛氏の三男が亡くなった。妙輪寺において葬儀を執行する通知を区長と町会議員に発した。正2時に会葬した。
午後3時半、藤田町長が帰場した。
午後4時半頃、県参事会員の郷土久蔵氏から藤田町長ヘ通話があった。本日、中郡役所並びに大磯警察署会計検査を執行し、終了後、禱龍館において3~4名の有志と夕餐を喫することを、町長・奥山・三宅・二宮・渡辺氏らに通知した。
小生は、午後5時頃に退庁した。
解説
今日の日誌は、内容も書き方も、小見助役らしくない違和感があります。仕事が忙しく、疲れが溜まってきていたのかもしれません。まず、町長について、昼頃に早退と書かれていますが、夕方に帰場となっています。また、区長や町会議員に、前もって訃報や葬儀予定などのお知らせを出すことは良くありますが、この時は当日のお知らせだったのか、おかしな時間の記述になっています。
県会議員になっていた郷土久蔵が、会計検査に立ち会っているようで、終了後に町長を始め数人の町会議員らを呼び出して夕食会をするようですが、小見助役は町長にかかってきた電話連絡を取り次ぎしただけで終わり、午後5時頃に退庁したようです。
11月6日に列車事故で亡くなった男性は、馬入(現・平塚市馬入)の者ではないかと申し出がありましたが、残念ながら別人だったようです。
更新日:2024年10月10日