大正9年9月6日
9月6日(月曜日)
村井吉兵衛氏の母堂が亡くなり、東京市麹町区永田2丁目の自宅において告別式が執行されたため、午前7時36分発の列車で告別式に参加。大磯町から御供物料として5円を贈る。 午後4時頃帰庁の上帰宅。
小学校において国勢調査の講演会があり、聴講者多数で盛会だった。小生は東京へ出かけたため、参加しなかった。
腸チフスの患者が、隔離舎において亡くなったと、曽根田主任医師から報告があった。
解説
今日は、小学校で町民向けの国勢調査講演会が開催されました。初めての国勢調査に向け、全国的に周知のための様々な働きかけが行われ、このような講演会も全国で開かれていたと思われます。大磯でも関心が高まって来ていたのでしょうか。大勢の町民が来場したようです。
村井吉兵衛は、煙草王と呼ばれた実業家。小見助役が告別式に訪れた当時の自宅は、現在の千代田区永田町2丁目にあり、「山王荘」と呼ばれ、5,000坪の敷地を持つ豪邸でした。跡地は現在都立日比谷高校になっています。
村井は当時(1920年)、日本赤十字社の常議員に選ばれるなど名声も高く、東町にあった広大な別荘に、前月には朝香宮夫妻が滞在しています。
更新日:2020年09月06日