大正14年6月15日
6月15日(月曜日)、午前8時出勤。
本日は、渡辺書記は実弟が死亡されたので早退した。
本日、宮代町長より大磯町として大磯銀行の件を進藤取締役に相談すると申出られた。進藤氏に面会し、種々相談の結果、数日お待ち願いたいとのことで帰宅された。
午後0時、小学校にて唱歌研究会に参加した。本県視学の青木唱歌指導員の講評があった。
午後4時10分に退庁した。
午後7時から海水浴場委員を召集し、海水浴場開きの余興やその他すべてを決定し、午後11時に散会した。
解説
震災後、大磯銀行は、その後の立て直しが困難となり、ついに、大正12(1923)年12月3日に休業しました。大磯銀行の休業を受け、12月16日には、大磯銀行休業の対策協議会、年が明けた大正13(1924)年1月27日には、預金者大会で、大磯銀行の重役に説明を求めました。翌2月には、銀行の諸帳簿の不整理が発覚し、預金者が大蔵省へ陳情する事態へ発展し、大磯銀行は、駿河銀行へ救済を求めました。11月28日に駿河銀行との売買譲渡契約が交わされ、大正15(1926)年7月15日には駿河銀行への買収が成立しました。3年程もかかった交渉でしたが、預金者への払戻しは元金の2割強にとどまり、預金者にとっては残念でつらい厳しい結果となりました。
更新日:2025年05月15日