大正14年6月12日
6月12日(金曜日)
午前中、出勤前に、小学校運動場並びに倉知鷹次郎氏に対する宇野別邸下溝の件について、種々申合せを行った。
午前11時頃、倉知氏が来場し、種々の件で、具体的に秋山定輔にかけ合うとして帰られた。
本日、小学校新築設計技手の渡辺元四郎氏が設計書を持参し、町長と面会し、全ての書類を町長に引き渡した。松月亭にて小生と夕食を摂り、午後6時に帰場後、同時に退庁した。
解説
関東大震災により小学校の校舎は全壊し、町内の寺などに臨時の教室を確保し授業を実施していました。実は、大磯町は震災前の大正12(1923)年2月から、児童の増加などで手狭になった校舎の増改築計画を立て、敷地確保のため隣接所有者に譲渡交渉をしていました。しかし、この計画は震災によって中断し、 拡張計画が再び動いたのは、大正13(1924)年3月でした。敷地を確保した大磯町は、震災から2年後の大正14(1925)年4月には、小学校新校舎の設計に着手し、9月から工事を始めます。大正15(1926)年3月14日に、講堂・第1校舎・第3校舎が竣工しました。ちなみに初期の計画にあった幼稚園や実科高等女学校などが完成するのは昭和5(1930)年3月です。
更新日:2025年05月15日