大正14年5月1日
5月1日(金曜日)、午前8時出勤。
本日、県土木課職員の渡辺氏が来場された。小学校改築の図案が10日頃に全部出来あがり、持参すると申された。
午前10時頃、南下町区長の加藤直治氏が来場した。去る3月15日発会式を揚げ、岡田町長を招待しようとしていた、南下町の少年団及び少女団を、公開する手続きを依頼された。
午後から、毎月作成する小田原区裁判所送付の届出書を作成した。
午後4時に退庁した。
解説
今日は、小学校の改築図案が出来あがって、近日中に県土木課から渡されることがわかりました。この図面に描かれた校舎は木造2階建てで、昭和44(1969)年、現在の校舎に建て替わるまで使われました。当時の最先端の施設を完備していたと言われています。
また、南下町で結成された少年団と少女団を、公開する手続きをしたいと区長が依頼してきました。この手続きが具体的に何を指すのかわかりませんが、当時の日本では、明治時代末期から大正時代にかけて海外からボーイ・スカウト、ガール・スカウト(当時はガール・ガイド)が紹介されると、その活動に共鳴して、各地に少年団や少女団が作られました。この日誌が書かれた頃、大正9(1920)年にはガール・スカウトの前身「日本女子補導団東京第1組」が誕生しました。大正11(1922)年には、全国組織の「少年団日本連盟」が作られました。大磯でも子どもたちのために活動しようとした人達がいたようです。ちなみに、大磯における少年団の活動の記録としては、昭和5(1930)年11月11日付の横浜貿易新報に、「衛生歌を作成し、健康運動を展開した」という記事が残されています。
更新日:2025年04月02日