大正14年12月21日
12月21日(月曜日)、午前8時50分出勤。
本日は大雨だった。
午前10時頃、竹下監督が電灯装置の見積もりの件について来場した。小田原電気鉄道株式会社、電灯電力工事代理店興電社の酒井秀吉による見積もりの結果を申し出た。早速同氏に竹下監督からの指導を受けるよう通知を出した。
午後2時、大正14年度分の金3,000円を漁業組合に渡すために、組合長山下浜吉の代理宇留島宗輔が委任状を持参し来場した。諸費差し引き金1,244円50銭を渡した。
午後4時30分に退庁した。
解説
今日は珍しく「大雨」と天候が書かれています。助役日誌の中で天候の記述があるのは、台風や大雪の時でした。余程の冷たい大雨だったのでしょう。
小学校建築の竹下監督が、電灯設置工事の見積もりの結果を知らせに来場しました。小田原電気鉄道株式会社の電灯電気工事店との打ち合わせ後に工事が始まります。この電力を供給していたのが小田原電気鉄道会社です。明治20年(1887)に、東海道線が横浜から国府津まで延長され、大磯には停車場が設置されました。当時、国府津駅から小田原は通らず、御殿場回りがルートでした。それを憂いた小田原の有力者たちが発起人となり、明治21年(1888)、国府津~箱根湯本間を馬の力を利用した小田原馬車鉄道を開業させました。その後、箱根湯本に水力発電所をつくり、明治33年(1900)に電気で走る鉄道を開通させ、小田原電気鉄道会社が誕生しました。この小田原電気鉄道会社からの電力の配給により、大磯でも電気の利用が進みました。ただし、当時の電気代はかなり高かったようです。
また、漁業組合に大正14年度分のお金を支払っています。詳しいことは分かりませんが、大正13年11月26日の助役日誌に関連するとすれば、震災で被害にあった船曳場の復旧工事のための町からの補助金かもしれません。
参考
森川天喜『かながわ鉄道廃線紀行』(神奈川新聞社、2024年)























更新日:2025年11月05日