大正13年4月10日
4月10日(木曜日)、午前8時50分出勤。
午前10時半頃、二宮・郷土・三宅の3名、役場内において密議があった。町長が参加した。
午後から、学務委員会があった。霜島校長・三宅・郷土・奥山・町長の5名。浅沼・渡辺は欠席。小学校その他の件を協議した。
腸チフス患者が全快し、退院した。
午後4時半頃より、霜島小学校長と共に、仮校舎として建物を貸与してくれた者に対して、謝礼金を持って各自宅を訪問した。残りは、明日、波多野訓導と訪問する予定にして、帰宅した。
解説
学務委員会とは、数人ずつの町会議員で構成された委員会の一つで、主に学校・教育関係の案件について協議を行いました。
関東大震災で小学校は校舎が全壊しましたが、すぐに授業を再開し、継続するため、町内のさまざまな場所で分散授業を行いました。その時、仮校舎として使える場所を提供した町民に対し、謝礼金を持って挨拶に回ったようです。
記録によれば、建物を仮校舎として借用したのは、メソジスト教会(茶屋町)・山王町青年会館(山王町)・地福寺(南本町)・妙昌寺(東小磯)・妙輪寺(北本町)など。他にも、被災直後は余震を恐れ、野外授業を行うため寺社の境内や別荘の庭園を借りたりしました(関東大震災特集16参照)。そちらへも、後日、礼状を送っています。
更新日:2024年04月10日