大正13年3月15日
3月15日(土曜日)、午前8時30分出勤。
小学校の敷地売買契約が成立した。
午後3時頃より、役場楼上にて、憲兵送別会についての禱龍館やその他経費の計算を幹事が行った。その後、町代表者渡辺・三宅・二宮・奥山・浅沼の5名は、蜷川博士の自宅を訪問し、小学校敷地の労を感謝し粗品を贈った。
午後5時頃退庁。
解説
関東大震災が起こる約1年前の大正12年2月21日の助役日誌には、小学校の敷地拡張の動きがあり、岩崎家(3代目当主・久弥)と交渉を始めていたことがわかります。震災後も引き続き拡張交渉を進めていましたが、この日、一部の土地の売買契約が成立しました。場所は、現在の大磯小学校体育館の辺り、382坪の土地と建物を買い取る契約を結びました。当時の金額で2万5千円、内1万円は土地を売った所有者からの寄付でした。
西小磯に別荘を持つ蜷川新博士は、以前からこの学校敷地の問題で、岩崎氏と交渉するなど、協力してきました。
更新日:2024年03月15日