大正13年2月12日
2月12日(火曜日)、午前9時出勤。
初めて事務に従事した。役場吏員一同に対し就職の挨拶をして、代理事務を取り扱った。
午前10時、町長出勤。今後の執務について依頼する事項を相談した。
午前9時半頃、長島土木主任書記は地所調査のため出張した。
正午12時、助役並びに収入役代理及び赤十字社の職印を、町長の命により佐藤書記より引受け領収した。同時に宴会書類を同書記より受けた。通帳2通は、加藤収入役が保管しているとのこと。
「小学校建築費起債許可稟請書」に認印した。
「起債許可稟請」
今回の大震災のため、本町の小学校は全壊し、その応急費として金42,000円を要しますので町税を増収しようとしましたが、この場合絶対不可能であり、起債による他には適当な財源はありません。そこで、別紙の方法により起債する事を、何卒御許可頂きたく、このことを稟請します。
同月日・町長印・神奈川県知事宛
町役場金庫を修繕した。
午後2時、藤田町長は警察署へ出張。3時半頃、帰場された。
本日、復興委員会あり。渡邉・二宮・浅沼の3名出席。三宅・奥山・郷土の3名と鈴木氏は病気欠席。町長・助役は参加した。問題は、小巻請負師から小学校建築の経過、及び農具の買入資金、並びに諸星銭湯屋より水路鉄管里道埋設の件など。いずれも少数のため流会となった。来る15日、復興会を開催する予定にして散会した。茶菓を新杵に注文。午後6時頃散会、帰宅した。
解説
2月8日に助役の認可を受けた小見助役。この日から本格的に仕事が始まりました。前年辞任した時に返却した職印を受け取り、町長と仕事内容の打合せを済ませ、早速全壊した小学校の復旧工事のための資金調達について動いています。
震災により、町の財政を支えていた海水浴場や、別荘とも関連した中小商工業者の経済活動は低迷し、税収は減少。町の財政状況は悪化しました。しかし一方で、小学校を始め被災した道路・建物の復旧や公共整備事業に多額の資金が必要になっていました。さらに、地元の資産家・有力者等によって設立され、近隣住民から集めた資金で町の経済活動を支え、町財政にも関わっていた大磯銀行は破綻の危機にありました(関東大震災特集13参照)。そこで町は資金調達のため、県からの借入れを次々と行っていきます。ここに書かれた「起債許可稟請」の書類はそのうちの一つと思われます。
更新日:2024年02月12日