大正13年6月2日
6月2日(月曜日)
午前8時から、海軍簡閲点呼を中郡役所において執行した。町長代理として参加した。執行官は、海軍少佐の竹崎武雄氏で、午前11時半頃無事終了後、すぐに役場へ出勤した。
本日、藤田町長は平塚町長加藤銀蔵氏主催による県議候補者の件で、平塚町新宿・武蔵野旅館へ出張した。南部町村長会の会合をされるとのことだった。
山王町区長代理相原定五郎君が亡くなり、葬式に参加した。午後2時半帰場した。
本日は、自転車鑑札付替えのため、佐藤書記、小見雇は憲兵分遣所へ出張し、その事務に従事した。
午後3時から町会議員並びに区長一同を役場へ召集し、県議候補者の件について相談会を開催することとなった。午後4時から、化粧町と北下町を除く議員・区長らが全員出席し、協議を重ね、夜11時に散会した。盛蕎麦の夕食つきであった。
解説
今日は、多くの事柄が書かれています。まず、中郡役所で海軍簡閲点呼がありました。簡閲点呼とは、現役を離れた軍人である予備役等を定期的に召集し、試問応答などを行うもので、陸軍・海軍それぞれで行われていました。
また、書記等が自転車鑑札の付替えに出張していますが、これは6月4日まで続きます。当時は自転車に市町村税が課せられており、徴収と同時に自転車に取り付ける鑑札が発行されていました。この課税と鑑札の制度は、明治5年(1872年)に始まり、税額を変えながら昭和33年(1958年)に廃止されるまで続きました。
さらに、この日は町長が地域の町村長の会合に出かけ、夕方から深夜にかけては、町会議員・区長等を全員召集して協議をするなど、6月10日に行われる神奈川県議会議員選挙に向けた動きも活発になっていることがわかります。
参考
大塚辰治『市町村税の賦課徴収事務』改訂3版(自治館、1941年)
更新日:2024年05月04日