大正12年10月19日
10月19日(金曜日)、午前7時30分出勤。
本日は追悼会の件で多忙を極めた。午前11時頃から追悼式会場へ出張。午後3時式終了後、散会。
続いて労銀問題の件で協議があり、午後6時散会。
張千代吉氏から学校建築費として金50円の寄付を受ける。
解説
大磯町の震災犠牲者数は25名、列車転覆事故の犠牲者は8名で、総数は33名でした。この日は震災からちょうど仏教の「四十九日」にあたり、供養の追悼会が執り行われました。10月16日の日誌に妙輪寺の伊沢住職に、各寺院への協定を依頼していましたから、宗派を超えた追悼会が営まれたことと思います。
張千代吉(当時、第二小田原小学校の校長か)から学校建設のために、寄付がありました。小学校復興費用が42,550円と見積られ、全体復旧費用6万円余りの70%にも当たります。震災後、学校の授業は屋外の分散授業となっていましたが、10月に入り、一部校舎、メソジスト教会・地福寺・妙昌寺・大磯座・茶屋町の千葉松兵衛の別荘などを借りて、分散授業が行われていたようです。
参考
『大磯町史』7、p.437-438、465-469
更新日:2023年10月19日