大正12年9月27日
助役日誌
9月27日(木曜日)、午前8時30分出勤。
渡辺書記・梅田ほか雇人と共に、海軍火薬廠へモーターを返却に出張する。
藤田町長は、小学校の取り壊し現場を視察した。
戸籍謄抄本事務や、例月の裁判所へ送付する届書の見出しを作成する。
午後5時頃、退庁。
大磯警察署の日誌
9月27日(木曜日)晴
警察部への出張
高野沢巡査は医薬品の受領と、その他機密用務のため、午前7時35分に警察部へ出張した。各種医薬品を受領して、午後5時に帰署。
自警団組織の訓達
署長は午後1時に郡役所へ出張。郡長は郡内各町村長・在郷軍人分会長及び青年団長に対し、戒厳令撤廃後における警戒の準備として、至急、自警団を組織するよう訓達した。伊勢原分署長・秦野分署長代理矢島巡査部長も列席した。
小田原旅団司令部へ出張
署長代理として斎藤巡査部長は、小田原旅団司令部の会報へ出張した。午後6時20分帰署。
配給
伊勢原・秦野両分署から点灯用のろうそくが不足している旨、申出があり、2貫目(約60キログラム)ずつを配給した。
暴利者の検挙
斎藤巡査部長は暴利取締令の違反者として、平塚町町会議員を検挙し、送致した。
巡査の入院
震災以来、粉骨砕身の活動をした五木田巡査は、疲労の結果、風邪をひき、9月21日以来療養中であったが、経過が良くないため、午後1時に平塚の杏雲堂病院に入院した。
解説
注意
記事をお読みいただく上での注意点は、大正12年9月1日の記事にまとめましたので、ご覧ください。
平塚市中原にあった海軍火薬廠から拝借したモーターを、返却しました。このモーターのお蔭で、米を精米し、住民に滞りなく配給することができたのでしょう。思い起こされることは、大正7年(1916)の全国的な米騒動です。その際、大磯町ではやはり、米の廉売が行われました。今回の震災と同じく、町役場では素早い対応を取り、大磯町では大きな騒動とはなりませんでした。
警察署の日誌からは、医薬品やろうそくなど、依然として物資が不足している様子がうかがわれます。治安維持のため、自警団が組織されるようですが、そのような中で平塚町会議員が、暴利取締令によって逮捕されています。不当な値上げをしたのでしょうか。
今回の震災で、粉骨砕身の対応をした五木田巡査は、過労で療養中でしたが平塚杏雲堂病院に入院となりました。
更新日:2023年09月27日