大正12年9月24日

更新日:2023年09月24日

助役日誌

9月24日(月曜日)、午前8時30分出勤。

本日から、震災時の変則業務を通常通りの担当業務に戻す。

本日は秋季皇霊祭で休日であったが、それにもかかわらず、午後3時まで執務する。

本日から仮事務所を閉鎖し、本庁舎で事務を再開する。

9月1日から今日まで、この間の状況は実に枚挙にいとまなく、ここまでは、震災当時の概況を記すことしかできなかった。

午後3時30分退庁。

大磯警察署の日誌

9月24日(月曜日)雨

暴風雨の襲来
昨日からの風は、本日午前8時頃から強烈な暴風雨となり、激しさを増して、震災で半壊の家屋を倒壊させた。また、屋根や木片を飛散させ、危険なことこの上なかった。

鐘楼の墜落と庁舎の漏水
かろうじて残っていた警察署本庁舎上の鐘楼は、午前10時頃、大音響と共に倒壊し墜落した。鐘楼の墜落によって、屋根が破壊され、署内が漏水し、正午頃には漏水は滝のようになった。事務所の片隅で事務を継続する。署員が宿直する場所もなく、夜を徹して水・火災・その他警防に従事する。

消防組員の召集
戒厳令が発布されて以降、警察は軍隊と協力して地域の警戒にあたってきた。この状態は永久ではないため、軍隊の引揚げ後は、警察及び住民の手で治安を維持しなければならない。そのため、自警団を設置するべく、午前9時に管内の消防組頭を召集した。署長は、自警団の設置を依頼し、災害復旧に関する心得を訓示、意見交換して、午後2時に散会した。

電話の不通
暴風のため、警察や軍隊双方の電話が故障し、正午頃から不通となる。

電灯の消灯
大磯郵便局より西側は、強風のため停電が発生した。

救済
暴風雨のため、通行人で宿舎、その他の救済を願い出た者25、6名へ、宿舎を提供した。

馬入川の増水
馬入川(相模川)は、正午には約2尺(約60センチメートル)の増水となるが、渡船を継続させる。

解説

注意

記事をお読みいただく上での注意点は、大正12年9月1日の記事にまとめましたので、ご覧ください。

この日は警察署の日誌によると、相当の荒れ模様となったようです。台風と思われますが、当時は暴風雨と表記され、今までの助役日誌の記載にも、台風という文字は出てきていません。

それもそのはず、実は「台風」という言葉は、最近の言葉なのです。明治の初めにはタイフーンまたは大風(おおかぜ)などと言われ、明治末頃になって、岡田武松(1923年に第4代中央気象台長<現在の気象庁長官>となる)によって颱風(たいふう)という言葉が生まれました。そして、この言葉が一般的になるのは、1956年(昭和31年)以降です。

助役日誌では、この暴風雨のことがほとんど書かれていません。それもまた不思議ですが、小見助役は震災被害に対して独白のような記載をしています。「実に枚挙にいとまなく」。町の災害を前にして、落胆している助役の姿が浮かびます。

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