大正12年9月12日

更新日:2023年09月12日

助役日誌

9月12日(水曜日)、午前8時出勤。

前日のように米の販売を行う。

静岡県理事官より大磯町長宛てに、玄米400俵(約24トン)、漬物12樽を海路にて送られ、その陸揚げに忙殺した。それらは、とりあえず大橋邸内に運搬、保管した。

その他、雑務に忙殺された。

午後10時頃、帰宅。

大磯警察署の日誌

9月12日(水曜日)晴

魁丸の停泊
午前7時、玄米250俵(約15トン)、たくあん、その他食料品を積んだ「魁丸」が静岡県の清水港から来て、積載品を全部大磯町に引き渡した。当署は、立会った。

感染症予防の警戒
震災後の衛生状況は、日を追って悪化している。最近、京浜地方、近くは国府津方面でも感染症が発生し、流行する傾向がある。迅速に対応する必要があるため、要所要所に宣伝ビラを張り、住民または一般通行者に対して注意を促しているが、いまだに改善が見えない状況である。そのため、衛生隊を組織し、平塚方面は吉田巡査を、大磯町及び西部方面は渡辺・柴崎両巡査を派遣して、警告に努めた。また、数名の作業員に指示して、汚物の処理やその他の清掃に従事させた。なお、管区員によって、本日から全管区にわたって検病の戸口調査を実施した。困窮者は、最寄りの医師にて無料治療をさせ、ゴミ・汚物の処理、その他を各町村長・区長・消防組頭・在郷軍人団に対し重点的に実施するよう督励の依頼状を出した。

被害調査
震災当時の1回目の被害調査を行ったが、多数の死傷者があり、警察の活動は被災者や死傷者の救助、検視、そのほか急を要する事項を優先したため、 概括的な調査になっていた。本日から詳細な被災調査を開始する。

罹災救助品の到着
午後2時、駿河の清水港から米400俵(約24トン)、そのほか食料品が、帆船に積まれて大磯海岸に到着した。町役場では、陸揚げができなかったため、 当署から軍隊に交渉し、軍隊の手を借りて陸揚げした。しかし、救助物資の所属が、郡と町との間ではっきりしなかったため、 配給を見合わせ、物品を海岸砂浜に積み置きした。午後6時半頃になって、波が高くなり、流失するおそれがあったため、 再度、消防組員・青年団員を集めて、安全な場所へ移動させた。連隊長及び署長は、郡長と町長との間で調停にあたり、本品は大磯町所属の物と決定した。

紡績女工の帰省
相模紡績会社の女工221名は、前日と同じ方法で帰省させた。

収容人員
人員90名、炊き出し米1斗(約15キログラム)

解説

注意

記事をお読みいただく上での注意点は、大正12年9月1日の記事にまとめましたので、ご覧ください。

静岡県から救援物資が届きました。警察署の日誌によると、船は2隻来たようです。助役日誌と比べると、多少、記述に違いがあります。実は、この救援物資の取扱いについて、郡(中郡)と大磯町とで、もめ事がありました。結局は軍隊や警察署が間に入り、すべて大磯町の扱いとなりましたが、非常時にありがちな出来事とも言えるかもしれません。

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