大正12年8月24日
8月24日(金曜日)、午前7時50分出勤。
加藤収入役が病欠のため、収入事務を代理。戸籍謄抄本事務も取扱う。
午前11時頃、岩崎男爵の執事、萩原唯一氏が来場され、藤田町長と面談される。面談の内容は小学校敷地の件で、岩崎男爵の回答について。
- 小学校への敷地譲渡は200坪位に減らすこと。
- 校舎の2階建ては遠慮して欲しい。
との要望であった。
町の学務委員会で協議した後、岩崎家に御挨拶に伺う旨を伝えて、午前11時半頃萩原氏は帰られた。明25日、午後から学務委員を召集して協議する予定。
午後2時半頃、三宅氏が来場され、広告注文者に料金の請求をされた。
藤田町長は県議候補者の選考のため、平塚町杉本楼へ出張された。
午後3時10分退庁。
午後6時頃、県議選考会で協定がまとまらなかったため、自由投票となることが発表された。二宮長松氏からの連絡による。
解説
岩崎男爵家へ懇請していた大磯小学校への敷地譲渡の件は、条件付きで許可をいただけそうです。この年2月頃から日誌の記載には、懇請の件と書かれています。当時の生徒数は大変多く、神奈川県内の都市部では2部制で授業を行っている小学校もありました。岩崎家と親戚関係があり、大磯に別邸を持っていた法学博士の蜷川新に、東京本宅に尽力をお願いした記載もありました(大正12年2月23日)。
参考
『神奈川県史』通史編5近代・現代(2)、p.144~147
更新日:2023年08月24日