大正12年3月21日

更新日:2023年03月21日

3月21日(水曜日)、午前8時26分発の汽車にて東京ヘ出かけた。西小磯停留所新設の出願調印の件について、まず蜷川博士の渋谷自宅を訪問した。次に三河台町の井上準之助氏を訪問したが、不在のため要件を果たせなかった。鍋島侯爵邸を訪問してから、官邸にいる木村甚三郎氏を訪問。午後5時半、渋谷の蜷川邸に寄り、願書を預けて出願の依頼をした。

神田山本通りに行き、知人の病気見舞いを済ませ、渡辺廣三氏と共に午後11時50分に帰宅した。

解説

3月9日の町会にて、満場一致で西小磯と高麗に駅を新設することが決まりました。今日は、西小磯駅新設出願の書類に署名・印をもらうため、小見助役は東京に出かけました。大磯ゆかりの有力者に応援を願うのが目的のようです。蜷川博士は、頼りがいのある良き相談者であることがわかります。

大磯駅は明治20年(1887)にできました。当時の鉄道敷設の計画では、大磯駅は作る予定がありませんでした。予防医学のために大磯に海水浴場を作った松本順は、たくさんの人に来てもらうために、当時の大物政治家である山縣有朋や伊藤博文に働きかけて、大磯駅が作られることになりました。

大正のこの時期には、大磯に邸宅や別荘があった政治家たち(伊藤博文・山縣有朋・大隈重信・陸奥宗光・西園寺公望・寺内正毅・加藤高明・原敬等)は、すでに亡くなったり、転居したりして大磯にはいませんでした。 そこで、白岩神社の西隣に別荘があった井上準之助(第9・11代日本銀行総裁・当時は貴族院議員)と、滄浪閣東隣に別荘があった鍋島侯爵の本邸(12代当主鍋島直映・貴族院議員)を訪問し、協力を求めたようです。残念ながら井上準之助には会えませんでした。駅の新設について今後の動向が気になります。

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