大正11年7月8日
7月8日(土曜日)、午前8時何分かの大磯駅発の列車に乗り、平塚駅で下車、自動車で伊勢原町に到着。それから東へ数丁行き、成瀬村に到着。同村高森小金塚で、東宮殿下大演習御野立所の建碑除幕式に参加した。当日は、吉野中郡長と神奈川県知事井上孝哉(いのうえ・こうさい)閣下が臨場。各町村長が参列して盛会を極め、式終了後、成瀬小学校において昼食の饗応を受け、午後1時半頃散会。伊勢原町より自動車で平塚駅に行き、汽車で大磯駅に着いた後、すぐに帰宅した。
解説
今日の小見助役は、成瀬村高森(現・伊勢原市)の小金塚に建立された碑の除幕式に参加しました。 前年大正10年(1921年)11月に関東一円で陸軍大演習が行われ、天皇の名代として統監した皇太子裕仁(後の昭和天皇)が、この場所にある小金塚古墳に上り、相模川での演習の様子を見ていました。御野立所(おのだてしょ)とは、もともと貴人が屋外で休息した場所という意味ですが、この時は「皇太子が演習の様子を見ていた場所」という意味で使っています。大演習については、大正10年11月1日の記事をご覧ください。
現在、古墳の上部は小金塚神社の境内となっており、入口脇に「鶴駕行啓之所」と書かれた碑が現存します。鶴駕(かくが)とは、皇太子が乗る車という意味ですので、日誌に書かれた碑は、これを指すと思われます。
また、この日、小見助役は、平塚~伊勢原間を自動車で往復しています。平塚における乗合自動車の営業は、大正時代に入った頃から徐々に本格化し、いくつかの業者がそれぞれ経路を開拓していました。一部の富裕層の物だった自動車が、急速に普及し身近な物になっていく様子が垣間見えます。
更新日:2022年07月08日