大正11年4月19日
4月19日(水曜日)、午前8時5分出勤。
栢木書記が病気のため欠勤した。
本日より藤田町長は忌明けのため出勤する。
午前11時、町長は戸数割の件を町村長で打ち合わせるため、平塚町役場へ出張する。平塚町長・城島村長の召集によるものである。
午後3時ごろ、有村国太郎氏対倉橋兵次郎氏の土地埋め立てについて、倉橋氏が町長に交渉かたがた弁護士で法学士の江藤玄三氏を同伴して、来場した。いろいろと意見を述べられ、町長に交渉する予定で退場した。
午後5時3分、皇太子殿下が大磯駅を御通過するため、奉送した。奉送後、退庁する。
解説
今日から藤田町長が復帰します。
4月12日に話があった長生館の土地埋め立ての件で、有村国太郎と倉橋兵次郎が藤田町長を訪れています。倉橋は長生館の経営者で、いわば、有村が原告で、倉橋が被告になります。倉橋は弁護士で法学士の江藤玄三を伴って藤田町長に意見を述べています。
この段階では、有村と倉橋の対立の原因について詳しいことはわかりません。しばらく様子を見る必要があるでしょう。
この日の夕方、小見助役は大磯駅を通過するだけの「皇太子殿下」を見送るために、大磯駅に行きました。「皇太子殿下」とは後の昭和天皇です。
更新日:2022年04月19日