大正11年2月13日

更新日:2022年02月13日

2月13日(月曜日)

午前8時頃役場に立ち寄り、同9時31分大磯駅発にて東京麹町区永田町の樺山資紀伯の葬式に参列した。本邸へ伺候した後、青山斎場へ詣で、式が終わり帰宅した。

午後6時から中郡蔬菜連合組合について、勧業委員を召集した。出席者は、藤田町長・中川郡技手・鈴木萬吉の代理として渡辺廣三・柳田勇次郎・二宮長松ら。渡辺書記も参加。役場の楼上にて長時間にわたり協議したが、協議はまとまらず、午後11時半頃散会した。茶菓を新杵から1円分購入。

小生は東京から帰宅の途中に立ち寄り、一緒に帰宅した。

解説

2月8日に亡くなった樺山資紀(すけのり)の葬儀が行われました。樺山は大磯に別荘があり、例のごとく町の代表者として小見助役が参列しています。この年は、大隈重信、山県有朋と、相次いで明治時代を支えた人びとが亡くなっていることが、小見助役の日誌からもわかります。

小見助役が大磯に戻った後、途中から参加した蔬菜連合組合に関する話し合いは、残念ながら議論がまとまりませんでした。蔬菜(そさい)は野菜のことですが、当時、中郡青物連合組合(大正2年(1913)設立)がありましたので(『大磯町史』7、p.320)、その組合のことかもしれません。議論に参加した二宮長松は、のちに大磯町長を務めますが、キュウリ、ナス、カボチャなどの野菜栽培の改良に貢献し、昭和4年(1929)には大日本農会から表彰された篤農家としても知られています(『大磯町史』7、p.323)。

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