大正10年4月6日
4月6日(水曜日)、午前7時35分出勤。
本日も渡辺書記は出張のため欠勤。
加藤収入役も忌引きのため欠勤。今日は出勤する予定だったが、私用のためさらに欠勤した。明日は必ず出勤する予定。
中郡技手から、今月30日から開催される畜産品評会に養豚組合が中郡養豚を出品するため、大磯町養豚組合から3円を補助費として寄付し、さらに中郡連合組合へ2円寄付することになったという話があった。大正9年度の中郡補助金5円で補充すると、小泉技手と約束した。
戸田技術員は、胡瓜苗床検査のため、引き続き西小磯方面へ出張した。
午後4時10分退庁。
解説
今日は、出勤するはずの加藤収入役が、私用でもう一日欠勤することになったようで、小見助役はかなり困った様子です。明日は必ず出勤する予定、という記述に力がこもっています。
もう一つ畜産品評会へ豚を出品するという話題が記されていますが、江戸時代まで仏教の影響で食肉の習慣が広まっていなかった日本で畜産業が盛んになった背景には、明治政府による富国強兵策がありました。政府主導で西欧から養豚技術を導入し、公的機関で生産された子豚が民間に払い下げられ広まっていきました。少し前の話にはなりますが、大正8年3月14日、26~28日の助役日誌には、農業技術員が貨車で送られてくる子豚を受け取る話が出てきます。3月3日の記事によると、農家だった小見助役の家でも、子豚を飼っていたようです。特に、日清・日露戦争後は、兵士たちの体格向上のため肉食が奨励され、養豚が広まる推進力になったようです。
更新日:2021年04月06日