大正15年8月22日
8月22日(日曜日)、休日。
午後7時から、県の渡辺技手が来場し、小学校第2工事の設計について説明を受けた。協議会が開かれ、議員・学務委員・町長・助役が参加し、午後12時過ぎに散会した。渡辺技手に50銭分の茶菓子を差し上げた。午後10時40分に横浜に帰られた。
解説
日曜日にもかかわらず、県から渡辺技手がやって来ました。夜の7時から小学校の第2期工事について説明するためです。渡辺技手が帰られたのは午後10時40分で、その後出席者たちは話し合いを続け、解散したのは午後12時過ぎになりました。
大磯小学校は、大正12(1923)年の関東大震災で2階建て1棟が半壊し、その他の校舎はすべて倒壊しました。当初、子ども達の学び場は、お寺や神社の境内、別荘の庭での野外教室、その後は、バラック教室や移築した建物を改造した教室でした。本格的に校舎の建築が始まりましたが、第1期工事が完成したのはつい5か月前のことで、大正15(1926)年3月14日に完成式典を開催しています。講堂と教室1棟のみで、他の教室は仮校舎のままでした。今回の校舎建築の説明は、残りの仮校舎を新築する第2期工事の件です。もともと校舎の建築計画は、コンクリート3階建てだったようです。しかし、震災復興費がかさみ、木造2階建てに変更されました。すべての校舎が完成し、落成式を開催するのは昭和5(1930)年になります。完成するまで役場・議員・関係委員の苦労が続きます。そして資金面では長い年月にわたり大きな財政負担がかかっていくことになります。
参考
鈴木昇『大磯の今昔』九、137~140頁























更新日:2026年07月31日