大正15年5月7日
5月7日(金曜日)、午前7時30分出勤。
本日は、雨天だったが、大磯小学校の生徒が各級遠足に出かけた。
午後1時から、中郡競馬会の件について、石井博氏が三宅・二宮・郷土の3名に会見すると通知した。
本日、北下町在住の1名に対する軍事救護金は、本年2月15日から4月30日までの75日間で、1日あたり金1円6銭ずつ給与されることになった。すぐに、真壁時次郎氏に通知し、領収を申し出た。真壁氏が来場したので金券を渡した。
本日は、山中技師が来場したので色々と相談した。近日中に回答があるはずなので、それにより、町議と諮る予定である。同氏も、宮代前町長ならびに中西氏にも面会したとのことだった。
午後4時30分に退庁した。
解説
今日は、競馬場の件で面会が計画されています。平塚が誘致先として選定されたはずですが、何か話し合うことがあったのでしょう。
また、今日の日誌からは、軍事救護金の詳細が分かります。1日あたりの給与金額に、決められた日数を掛けた金額を金券で発行し、本人ではなく、地区の責任者である区長などが受取りにきており、受け渡しの様子も分かります。
来場した山中技師は、宮代前町長の就任中に、水道敷設計画に携わった人物です。大正13(1924)年9月に議員に対する説明会が開かれたのを皮切りに、翌年(大正14年)6月から同技師に全面的に委任する形で計画が進められました。設計図が作成され、水源地の候補を挙げて掘削も行われましたが、思惑どおりには進まず、11月24日、町長の突然の辞任表明と共に計画は頓挫しました。彼が来場前に面会した中西氏も、かつてこの計画の中心にいた町会議員です。しかし、なぜ彼が今日久しぶりに来場したのか、回答次第で町会議員に諮らなければならない事とは何なのか、詳しいことは分かりません。























更新日:2026年04月09日