大正15年4月9日
4月9日(金曜日)、午前8時出勤。
午前9時、長島書記は、西小磯の蜷川氏が所有する山林境界不分明の箇所へ出張した。
午前10時頃、小学校訓導・加藤好廣が鎌倉小学校に転任、並びに三谷智夫代用教員は、県の師範学校に入学するため、挨拶に来場された。
午前9時半頃、小巻請負師より小学校建築費精算について、相違の件(差引の部)がある旨申し出た。近々建築委員に諮るということで、退場された。
本日は、大磯警察署警部補・平田辰夫氏が、県の衛生課に転任の挨拶に来場した。
本日、蜷川博士が当役場に立寄られた。
本日、奥山氏から、池田の排水口の管理を、青木芳利に命ずる願書が提出された。すぐに、長島主任から本人青木に対し、来場・説明する通知を発した。
午後4時10分に退庁した。
解説
長島書記が出張したのは、西小磯にあった蜷川新(にながわあらた)の所有地で、吉田茂邸の近隣です。蜷川は、静岡県の出身で、法学博士(国際法)、外交官・大学教授・日本赤十字社の顧問などを務めました。
また今は新年度の始まりですので、警察の人事異動が行われています。同様に小学校からも転任挨拶がありました。太平洋戦争前の小学校教師には、主に教員不足を補うため、師範学校を卒業して正式な教員免許を持つ「訓導」と、資格を持たない「代用教員」がいました。代用教員は、高等小学校・旧制中学校・高等女学校を卒業して検定に合格すればなることができましたが、訓導と比べるとかなりの格差がありました。また、今日の日誌に書かれているように、代用教員を務めた後に師範学校に入学する者もいました。多くは、学資の準備をするためだったようです。
また今日は、排水口の管理に関する願書が提出されています。「池田の排水口」とは、もしかすると実業家・池田成彬が大正10(1921)年に西小磯に造った「池田農園」の土地とかかわりがあるのかもしれません。























更新日:2026年03月03日