大正15年3月25日
3月25日(木曜日)、午前8時30分出勤。
本日、税務署増築の設計図案を受け取った。
午前10時から、小学校講堂において卒業証書の授与式に参加した。終了後、器具の未了検査をなし、午後1時半頃に帰場した。
午後3時頃、竹下監督の依頼により便所・天井・蝶番等を臨検した。全部出来上がり、午後4時30分に帰場の上、退庁した。
午後8時頃、競馬場の件について、三宅・郷土・二宮の3名を主催として、町役場ヘ集合した。出席者は、渡辺・宮代喜・宮代師・安部川・三宅・郷土・二宮の7名の議員と助役、発起人の加藤・堀江・平野・成瀬の4名だった。種々協議の結果、明日26日中郡役所において、中郡畜産組合並びに平塚町発起人等と会見し、妥協的協議をすることになった。午後2時半に散会した。
解説
本日は、元厚木税務署払い下げの建物の移築や改築、増築について、大磯税務署の全体の設計図案が届きました。町として次に取り組まなければならない重要な案件です。
昨日に引き続き、小学校の未了の器具検査と、昨日不合格だった手直し箇所の検査を済ませ、出来上がりを確認しました。
競馬場ですが、平塚市天沼・宮前町(現在の「ららぽーと湘南平塚」付近)に、大正15(1926)年春から昭和6(1931)年秋まで、平塚競馬場がありました。主催は中郡畜産組合と県畜産組合連合会で、1周1000m、幅20mのコースでした。昭和6年に地方競馬場規則により県内2ヶ所までと制限され、当時既存していた8ヶ所の競馬場は平塚を含めて廃止となりました。当時8ケ所もあった競馬場の造営は、国が関東大震災後の復興支援事業を目的とし、各郡の畜産組合に競馬場運営の許可を与えました。震災翌年に秦野町で競馬場を始めましたが、継続が困難になったため、大正14(1925)年から大磯町と平塚町で誘致活動をしていました。どちらに決まるのでしょうか。























更新日:2026年02月26日