大正15年2月1日
2月1日(月曜日)、午前8時30分出勤。
午前9時頃、高麗神官死去の報告を受け、午前10時頃、霜島学校長と共に高麗氏の自宅を訪問し、お悔みを申上げた。高麗神官は、昨31日午後5時頃、突然、心臓麻痺を起こし急死した。
午後7時から町会議員を召集し、高麗神官の葬儀について打合せをするとの通知を発した。
午後7時から町議ならびに区長一同を召集し、故高麗神官葬儀に対する贈り物及びその他を協議した。その結果、郷社・雑社合同で、大磯町より祭資料として金200円を用意し、2升5合2座のお供えを贈ることに決定した。町長代理に委任し、午後9時頃に散会した。
解説
今日の小見助役は、出勤早々思いもよらない訃報を聞きました。亡くなったのは、高来神社の神官・高麗邦元でした。当時、日本では神道は宗教の枠を超えた「国家神道」として、政治・教育はもとより、国民の精神生活すべてに大きな影響力を持っていました。地域の人々にとって神官は、その中心にいる人物です。小見助役が、すぐにに町会議員を召集し、葬儀について町の対応を決議したのも当然の事だったと思われます。また、今回は神道の葬儀ですので、祭資料と合わせて、かなり大きなお供え(餅)を贈っています。香奠やお供物料を贈る仏式の場合とは、違う対応が見て取れます。























更新日:2025年12月21日