大正14年1月29日
1月29日(木曜日)、午前8時30分出勤。
午前10時30分、岡田町長と共に、西小磯の白岩神社脇より旭村に通ずる道路と旭村より高麗に通ずる道路の実地調査をして、午後1時30分に役場に戻った。
午後2時頃、中郡役所に行き女給の件について、浅沼・島崎両郡書記に面会を求め、自筆の履歴書を提出した。明日から見習いとして本人を連れていく予定である。
午後4時頃、杉山氏が来場した。中郡共立学校の設立の出願にかかる町会の決議事項の原案と金目村油屋で協議会が開かれるため、岡田町長にその相談をして退庁した。
同時刻に旭村長の須藤源次郎と他1名が来場し、旭村より高麗に通ずる道路の件について、岡田町長に面会を求めた。会談を終え、午後5時頃に退場した。
午後5時半頃、町長と共に退庁した。
解説
白岩神社から旭村に通ずる道路と、高麗から旭村に通ずる道路の計画は、実現に向けて少しづつ進んでいるようです。
「中郡共立学校」の設立の動きが出ていますが、大正15(1926)年4月に創立される「中郡二十六ケ町村組合立奈珂中学校」のことと思われます。昭和4(1929)年には「神奈川県奈珂中学校」と改称され、現在の秦野市下大槻に新校舎が建てられました。昭和10(1935)年には「神奈川県立秦野中学校」として設立されました。現在の神奈川県立秦野高等学校の前身です。
参考
鈴木昇『大磯の今昔』九、p166~p175
更新日:2024年12月21日