大正13年11月28日

更新日:2024年10月24日

11月28日(金曜日)、午前8時50分出勤。

本日渡辺書記は、午前9時頃に私用のため平塚町へ出頭した。午後0時30分に役場へ戻った。

本日は裁判所へ提出する謄本の作成に従事した。

午後1時半頃、藤田町長は早退した。

午後2時半頃、沼津に行っていた郷土氏より大磯銀行のことについて電話があった。午後9時までに町会議員一同を町役場ヘ召集するよう依頼され、すぐ町長に連絡をして各議員を召集する通知を出した。しかし、出席した議員が少数だったため、流会となり、明日29日午後1時から再度、召集する通知を発した。

午後3時頃、池田登記所長が来場し、倉庫へ棚を吊る事を依頼された。

午後4時に退庁した。

午後7時から、小学校において本年入退営兵の送迎会があり、町長と共に参加した。東京府立高等師範学校講師(ママ)の奈良島正堂先生による講演と、石田圭秀氏による43号水雷艦沈没の状況の講演があった。午後11時に散会し、帰宅した。

解説

郷土氏は、大磯銀行の件について沼津から電話をかけたました。町会議員に急ぎ話したいことが出てきたのでしょうか。夜の9時に召集をかけましたが、出席者が少なく、改めて明日に会議を開くことになりました。

小学校で行われた入退営兵送迎会の講演会の「43号水雷艦沈没」とは、大正13(1924)年3月19日に佐世保港外で起こった沈没事故のことです。演習中の第43潜水艦が軽巡洋艦「龍田」と接触して沈没、乗組員45名全員が亡くなりました。艦内からの救助の連絡は10時間後には途絶え、水深の深さと潮流に阻まれて引き揚げられたのは24日後でした。遺書なども残されており、悲惨な事故として亡くなった方々の慰霊碑が建てられています。講師の石田圭秀氏とはどのような人物かは不明ですが、徳富蘇峰宛ての書簡が二宮町の徳富蘇峰記念館に所蔵されているようです。

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